訃報 古田武彦先生ご逝去の報告(会報131号)
二〇一五年の回顧と年頭のご挨拶
古田史学の会・代表 古賀達也
はじめに
新年のご挨拶を申し上げます。昨年十月に古田先生がご逝去され、失意の中で追悼講演会などに取り組みましたが、多くの皆様のご参加とご協力により成功させることができました。おかげさまで、とても感動深い追悼会となりました。いただいた追悼文などは『古代に真実を求めて』十九集に掲載させていただきます。
新年も会員の皆様のお力添え賜りますようお願い申しあげ、わたしたち「古田史学の会」は古田先生のご遺志と学問を引き継ぐことをお誓い申し上げます。ここに二〇一五年を回顧し、新たな年へ進みたいと思います。
「古田史学の会」編
二〇一五年は激動と慟哭の年となりまし。心重いのですが、「古田史学の会」に関連した出来事について回顧します。
○古田武彦先生のご逝去(十月十四日)
古田先生のご逝去はわたしたち古田学派や読者に激震をもたらしました。十月はわたしにとって慟哭の月となりました。享年八九歳ですが、古田先生が敬愛された親鸞の没年齢と奇しくも同じ年齢です(親鸞は数え年で九十歳没)。
○「古田史学の会」水野代表が退任
六月の会員総会で、「古田史学の会」創立以来二十年にわたり代表を務められてきた水野孝夫さんが退任されました。後任としてわたしが代表を勤めさせていただくことになり、新たに正木裕さんが事務局長、竹村順弘さんが事務局次長に就任されました。小林副代表は留任され、新四役体制が確立しました。水野さんには顧問(全国世話人)として、引き続きご指導いただけることになりました。
○米田敏幸さんを迎え、記念講演会(六月二一日)
六月の会員総会では庄内式土器の専門家、米田敏幸さんを講師に迎え、記念講演会を行いました。正木さんも狗奴国に関する講演をされました。考古学者をお招きしての講演会は「古田史学の会」としては初めての試みです。今後も、日本古代史の関連諸分野の研究者を講演会にお招きしたいと考えています。
○『古代に真実を求めて』十八集をリニューアル
明石書店より発行している会誌『古代に真実を求めて』を大幅にリニューアルし、『盗まれた「聖徳太子」伝承』として刊行しました。従来の応募原稿中心の編集から、毎号ごとに特集を組み、それにふさわしい原稿を中心に編集することにしました。十九集は「九州年号特集」を予定していましたが、急遽、「古田武彦先生追悼号」に変更し、編集作業中です。
○『盗まれた「聖徳太子」伝承』刊行記念東京講演会開催(九月六日)
『盗まれた「聖徳太子」伝承』刊行を記念して、東京講演会を開催しました。会場は東京家政学院大学千代田キャンパスをお借りし、在京の友好団体「東京古田会」「多元的古代研究会」のご協力もいただき、成功裏に開催することができました。講師は正木さんとわたしが担当しました。プロジェクター映像を本格的に駆使するなど、新たな講演スタイルにも挑戦しました。
○メール配信事業「洛洛メール便」をスタート
ネット環境を利用して、ホームページに連載している「洛中洛外日記」や、ホームページには掲載しない「洛中洛外日記【号外】」を希望される会員に配信するサービスを四月から開始しました。配信作業は竹村事務局次長に担当していただきました。
○「古田史学の会facebook」を開設
「古田史学の会」の活動をよりビジュアルに発信するために、従来のホームページ(新・古代学の扉)とは別に「古田史学の会facebook」を開設しました。関西例会や遺跡巡りハイキングの写真や動画を掲載しています。これも竹村さんに担当していただいています。
更に、facebookを利用している会員間で「友達」として意見交換や情報発信も始まりました。わたしや正木さん、竹村さん、横田さん(「古田史学の会」インターネット事務局)、竹内さん(「古田史学の会・東海」会長)、そして会員の冨川けい子さんらが「友達」となって活発な情報発信・意見交換を行っています。
○「愛知サマーセミナー二〇一五」で講義(七月十九日、名古屋市)
愛知淑徳高でに開催された「愛知サマーセミナー二〇一五」で、「古田史学の会・東海」の取り組みの一環として、わたしも講義しました(テーマ:教科書が書かない!日本古代史の真実とは!)。愛知県下の高校生だけでなく中学生も熱心に聴講されていました。子供たちに古田史学を紹介し、学問の方法を語ることは将来的にも貴重な取り組みです。
「学問・研究」編
次は学問・研究について回顧します。二〇一五年も多くの学問的成果や新たな課題が続出し、多元史観・古田学派ならではの業績と経験に恵まれました。
○多元的「国分寺」研究の進展
国分寺は聖武天皇よりも以前に、九州王朝でも造営されていたのではないかとする意見が以前からありましたが、今年は埼玉県所沢市の会員、肥沼孝治さんからの武蔵国分寺遺跡の方位のぶれ問題の提起により画期的な進展を見ました。九月五日には肥沼さんの案内により、関東地区の古田史学の会・会員とともに現地調査も実施しました。
○「赤淵神社縁起」(九州年号史料)の現地調査
九州年号「常色」「朱雀」などが記されている九州年号史料「赤淵神社縁起」(天長五年〔八二八〕成立)を所蔵している赤淵神社(兵庫県朝来市)を訪問し、同神社のご了解の元で写真撮影などの調査を行いました。平安時代に成立した文書に九州年号が記されていることにより、九州年号が鎌倉時代に偽作されたとしてきた一元史観の「仮説」が改めて否定されることとなりました。
○鞠智城現地調査と九州王朝造営説
従来から古代山城としては異質とされてきた鞠智城(熊本県山鹿市・菊池市)を五月に訪問し、現地調査を行いました。その結果、考古学出土事実などから従来の大和朝廷一元史観による編年よりもやや古く、鞠智城は九州王朝による造営と考えざるを得ないことが明らかとなりました。『古代に真実を求めて』十九集にこの研究論文が収録されます。
○狗奴国研究の深化
正木裕さんの一連の研究により、『三国志』倭人伝に見える狗奴国が銅鐸圏の国家であることを考古学と文献史学からのアプローチにより明確になりました。こうした研究業績により、倭人伝研究も一層の発展を見せました。その集大成として『邪馬壹国の歴史学』(古田史学の会編)がミネルヴァ書房より刊行されました。
○竜田関の防衛方向の研究
服部静尚さんの「古代の関」研究により、河内と大和の間に設けられた竜田関がその構造や地勢から、大和方面から河内に侵入する「外敵」に対しての「関」ということが明らかとなりました。すなわち、竜田関は九州王朝の副都「前期難波宮」を大和(方面)の勢力から防衛するために設けられた「関」ではないかとされました。「古代の関」の多元史観から見直しという新たな研究領域の出現といえるでしょう。
これらの他にも、多くの研究成果が報告されました。古田学派ならではの革新的な研究領域であり研究成果です。
『古田史学会報』編
二〇一五年は『古田史学会報』一二六~一三一号を発行しました。
昨年に続いて正木裕さんは精力的な研究発表を続けられました。また、古田史学入門編として「壹から始める古田史学」の連載も一二九号から開始されました。古田先生が亡くなられたことにより、わたしは「追憶・古田武彦先生」の連載を開始しました。
常連組が安定した研究レベルにより優れた論稿を発表される一方、平田さん(“たんがく”の“た”)、安随さん(「唐軍進駐」への素朴な疑問)、清水さん(四国・香川県の史跡巡り)が会報デビューされました。中でも印象に残っているのが、安随さんの「『唐軍進駐』への素朴な疑問」です。意表を突かれたという意味でも好論でした。
また、古田先生の最後の対談をラジオ番組でされた桂米團治さんのオフィシャルブログからの転載も感慨深いものとなりました。投稿していただいた皆様に御礼申し上げます。
新年も会員の皆様の投稿をお待ちしています。なお、採否と掲載時期については編集部にお任せください。多くの原稿が掲載順番待ちとなっていますが、新人の投稿はなるべく早めに掲載したいと思います。ご理解のほど、お願い申しあげます。
『古田史学会報』一二六号(二月)~一三一号(十二月)目次<略>
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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