拙年頭の御挨拶 飯田満麿氏を悼む 事務局便り
年頭の御挨拶
代表 水野孝夫
明けましておめでとうございます。会員の皆様も気持ちを新たにされたことと存じます。
古田武彦先生も昨年末に検査入院されましたが、異常なくお元気で、大化改新に関する文献を集めるお手伝いをしました。
年頭には京都市左京区八瀬の小野毛人墓誌が出土した崇道神社のある山へ百四十米を登られたとのことで驚きました。
当会の遺跡めぐりハイキングは本年中に百回記念を迎えます。昨年十月には奈良県飛鳥地方を歩きましたが、最後の束明神古墳ではわたしは疲れてしまったので、山登りを遠慮して下で待っていました。登った方々の話ではめぼしいものはないよ、束明神古墳は橿原考古学研究所博物館に再現保存されているから、そちらを見た方がよい、とのことで、伊東義彰さんと博物館を訪れました。
ちょうど「宮都 飛鳥」という特別展を開催中で、発掘された百済の都など珍しい展示がいろいろあったのですが、わたしが最も興味を持ったのは国宝「小野毛人墓誌」でした。小野毛人は遣隋使・小野妹子の息子とされる人物です。わたしの住居地(西奈良)あたりも小野氏の支配地だったという伝承があり、墓誌があることは知っていましたが、展示は珍しいのです(京都国立博物館に寄託されているが、常設展示はない)。しかし発見地は京都市、出土は江戸時代であり、飛鳥研究とは場所も時代も違う。「なぜ、この展示?」と思いました。銘文が「飛鳥浄見原宮治天下天皇・・・」と始まる金石文だからです。ところが銘文中の小野毛人経歴が『書紀』『続紀』に合わない。で、これを古田先生に報告したところ、丁度九州小郡市で「飛鳥浄見原宮」の研究実験をされる直前だったから結びついてしまった。
十一月に入って、先生と共に再度博物館を訪れました。古田先生を小野毛人墓誌の研究に引っ張り込んだわけです。
それで先生は百四十米の山登りというわけです。銘文には「営造歳次丁丑年十二月上旬即葬」もあります。この「丁丑年」は六七七年のこととされていますが、わたしの地方には小野毛人は長生きしたとの伝承があり、干支一巡(六十年)あとの七三七年も考えてみたいと思っています。
会員の皆様にも、古田先生の方法論は大切にするが、根拠があるときは結論には従わないこともあるという反骨精神も大切に。それと疑問は忘れずに持ち続け、自分のテーマ研究と会活動への参加も続ける、「継続は力なり」を大切にしていただきたいと思います。
飯田満麿氏を悼む
古田史学の会・代表 水野孝夫
飯田満麿氏が一月十日逝かれた。会の主なメンバーは新年賀詞交換会後の懇親会に参加していた時刻だった。
わたしはたまたまこの時刻頃に会場の外を見たが、満月に近い月が見えていた。
十三日の葬儀には古田先生も出席され、「飯田氏に渡す約束だった(群馬県の遺跡)」資料コピーを納棺された。祭壇の写真は若く見えた。現役退職直後に英国旅行のときの写真だったそうである。
氏は福井大学工学部出身で、大林組に入社され、各地で建築工事に従事、後年は奈良営業所長として奈良県各地の建築工事を指揮し、奈良市西郊に居を定められた。退職後は古田史学の会行事に参加され、会計ついで副代表をつとめて頂いた。
奈良県内にはいたるところに氏が関係された建築物があり、平城宮跡の朱雀門、東園庭園をはじめ寺社、ビル、店舗、住宅があり、会のハイキングに行くと「これも俺が作った」といわれる建物がゴロゴロしていた。
学生の時から古代建築に興味を持たれていたとご本人からお聞きしたが、とくに法隆寺については研究されていた。
わたしは住居が非常に近いため毎月二回(ハイキングと関西例会)はほとんどご一緒に行動していた。ほかにも自作された陶芸作品(酒器や鉢)をいただいたり、パソコンのトラブルから税金の申告ま で、ご相談したことは数えきれない。
二〇〇八年だけの想い出でも、一月九日には二人だけで木津川大橋から東大寺まで二人だけで歩いた。これは「藤原宮や東大寺を作るための木材を木津からどうして運び、どのくらいの工数を要したか」というテーマのためだった。七月には奈良国立博物館で「法隆寺国宝展」をご一緒に見た。関係する文献を国立博物館へ寄贈するのを代わってやっていただいた。その謝礼として、次の「西国三十三ヵ所展」の招待券を貰い、飯田氏ご夫妻分を差し上げたが、直後の八月十八日に検査、つづいて入院・手術となったため、ご夫妻はこの展示を見られなかった。
来る三月発行予定の『古代に真実を求めて第十二集』には氏の遺稿となった論文「持統紀はなかった」が掲載される。わたしが吹き込んだ「壬申の乱ののち、高市皇子が即位された。持統天皇とされる方は皇太后(『懐風藻』)だった」仮説の影響がみられる。
わたしは形見として、地図を頂いてきた。前記の木津から藤原宮に至る区域の自治体の精密な都市計画図で、木津市や精華町の役場へご一緒に購入に行ったものである。氏の温顔に接する機会はなくなって本当に淋しい。ご冥福をお祈りする。
事務局便り
▼この数年、古田学派内では古くからの同志の物故が続き、悲しみが絶えません。他方、新たな研究者も陸続と誕生しています。その一人、合田洋一さんが新著『新説伊予の古代』創風社出版二六二五円を上梓された。
▼後世に残る名著・名論文を著したいという思いを胸に、共に前進しましょう。@koga
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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