拝観、「白雉二年」銘奉納面 古賀達也(会報91号)
拝観、「白雉二年」銘奉納面 -- 愛媛県周桑郡丹原町福岡八幡神社蔵 古賀達也(会報91号)
白雉二年九月吉日奉納面の紹介
川西市 正木 裕
「奉納 白雉二年九月吉日」の文字のある翁面が、愛媛県の郷土史家故真鍋充親氏によって発見されていたので紹介する。
この翁面については同氏著の「伊予の高嶺」(昭和四四年八月立春短歌会発行)に記されており、面の文字も愛媛県警本部鑑識課の課長により昭和四二年四月二五日、赤外線写真等により鑑定されているという。「干支」が記されていない為、九州年号白雉である証明にはならないが、「白雉」年号の実用例として貴重な資料となるだろう。
同面は愛媛県周桑郡丹原町今井の福岡八幡宮で発見された。「伊予の高嶺」記載の記事によれば発見の仔細は以下の通りである。
[朝日新聞昭和四二年記事]
周桑郡丹原町今井、福岡八幡神社(越智義邦宮司)に保存されていた翁(おきな)面が町の史実研究家と県警本部鑑識課の協力で、白雉年代に奉納された事が証明できた。
かねてから万葉集の研究を続けてきた新居浜市新須賀町甲、立春短歌会四国支部長の真鍋充親さん(五三)は福岡八幡の社記に「仁寿二年(八五一年)に古墳 アリタリ」と残されていた事に興味を持ち、万葉以前にこの神社のあった事を知ろうと保存されていた面や鏡を借り、面は翁と般若の二つあったが翁の方の裏面に墨筆らしいものを見つけた。知人の県警鑑識課長和田登警視に話したところ、写真判定を試みる事となった。紫外線を照射して撮影した結果、「奉納 白雉二年九月吉日」の文字がくっきりとあらわれた。
面は表面が磨かれたようにすべすべしており、裏面は柿の渋を塗ったものらしく朱色が残っている。頭部には毛を植えていたと思われる小さな穴が並んでいて全体は軽く、右ほうは破損したのを修理、左ほうは破損したままになっている。白雉二年は西暦六五一年、大化の改新の五年後になり、ざっと一三〇〇年前にな る。
「古さが証明されたこともうれしいが、これで福岡八幡が相当栄えていた事、古墳が実在していた事を知る手がかりができた」と真鍋さんは話している。
記事は以上だ。福岡八幡神社のある伊予西條西部には有力な熟田津候補地もあり、現在当会の合田洋一氏、今井久氏らによって「伊予の熟田津の石湯仮宮」等について精力的な調査が進められている。「熟田津」の所在解明とあわせ、この翁面についても、今後製作年代等の詳細な調査が期待される。
残念ながら真鍋氏は物故されているが、氏は西條市橘新宮神社の「熟田津」文字の見られる神像を発見されるなど画期的な研究業績を残されている。ここに改めて敬意を表したい。(なお、新聞記事中「紫外線」とあるのは赤外線の誤りか)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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