犬(火)を跨ぐ
山東省曲阜市 青木英利
今年の一月十日の関西年賀会で、一年ぶりで古田武彦先生の記念講演を聞きました。二番目の課題として、隋書倭国伝(岩波文庫版)を使って「婦、夫の家に入るや、必ず先ず犬(火)を跨ぎ、乃ち夫と相見ゆ」をとりあげ、これは「犬を跨ぐ」で、犬=狗で、狗はイ妥国の官名の卑狗と関係がある。と話されました。
私は、以前から火を跨ぐと読んでいました。現在の中国・内モンゴルの田舎では、火を跨ぐ習慣があり、過っては、倭国でもそのようであったと思っていました。ただ、家屋が藁や木であった倭国では、火災が心配でした。
そして、帰宅して、最新版の中華書局版の隋書を見ると「犬」でありました。「必先跨犬」と成っています。
イ妥国は犬を跨いでいたのでしょう。
卑狗の倭語は彦かもしれません。王の忠実な家来という意味かもしれません。
文献では、「礼記」の檀弓下に孔子の飼い犬が死んだ話が載っていて、子貢が庭に埋葬しました。孔子はゴミの様に捨ててはならない、馬の様に埋葬すべきだ、封土をつくり首もつけたまま埋葬せよ」と言っています。極めて、丁重な扱いです。
考古としては、西周から春秋の一般の墓の棺、郭の下には、例外なく犬が埋められています。
古代の出陣の際は、城門に多数の生贄の犬がぶら下げられ、戦車は道に殺された犬を乗り越えて出立します。
倭国と、中国では、狗の意味に多少の違いがあるかもしれませんが、生きているときも、死んでからも、人々にとって非常に大切な生き物で遭った事に違いはなさそうです。
尚、三国志の邪馬壹国の壹は、中華書局版では臺ではなく壹に校正されています。東治は今だに東冶のままです。
これは会報の公開です。
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