2015年 4月15日

古田史学会報

127号

1,「張家山漢簡・居延新簡」
 と「駑牛一日行三百里」
   正木裕

2,短里と景初
誰がいつ短里制度を布いたのか?   西村秀己

3,“たんがく”の“た”
   平田文男

4,邪馬台国畿内説と古田説はなぜすれ違うのか
   服部静尚

5,学問は実証よりも論証
  を重んじる
   古賀達也

6,「唐軍進駐」への素朴な疑問
   安随俊昌

7,『書紀』の「田身嶺・多武嶺」
   と大野城
   正木 裕

8,倭国(九州王朝)
   遺産一〇選(下)
   古賀達也

9,断念
   古田武彦


古田史学会報一覧

 


“たんがく”の“た”

大津市 平田文男

 筆者は福岡県の山門郡(現在、みやま市)で幼少時代を過ごした。山門郡は例の九州「邪馬台国」説のひとつの候補地に上げられたところである。(実は、「誰も書かなかった邪馬台国」を著した村山健治氏は筆者の遠縁の親戚にあたる。)筆者が小学校に入学する1週間ほど前のことであった。父が「五十音の勉強のため」と称して一冊の絵本を買ってきてくれた。その絵本には、ちょうど「いろはかるた」のように、五十音の一字とその字を名前の冒頭にもつ動物や植物などのきれいな絵が描かれていた。例えば、“あ”の文字のページには“あひる”の絵が描かれていた。それを、例えば、「“あひる”の“あ”」のように音読してひらがなを覚えていく教材になっていたのである。私は父親を始め家族の目の前で「“あひる”の“あ”」、「“いぬ”の“い”」と、得意になって音読していった。ところが、「“おたまじゃくし”の“お”」の後で、「“たんがく”の“た”」と言ってしまった。そのページには“かえる(蛙)”の絵が描かれていたのである。当然、家族の爆笑を誘ってしまった。実は、その時、私は“かえる”という名詞をしらなかったのである。その地方では、皆、“たんがく”という方言を使っていたからである。
 中学校で国語と英語の教師をやっていた父は、そのとき“たんがく”の語源を説明してくれた。それによると、“たんがく”は日本の古い歴史書(「古事記」)に出てくる「タニググ」という言葉に起源があり、それが筑後地方に残っているのであろうということだった。もちろん、筆者が「古事記」の存在を知ったのはずっと後に中学の歴史か何かの中でであるが、その説明の記憶は後々まで鮮明に残った。ただ、つい最近まで“たにぐぐ(たんがく)”は古事記が書かれた大和地方の言葉であって、それが古事記を通じて筑後地方に伝わったものだと信じていた。それが「全く逆だったのでは」と思い始めたのは、古田武彦氏の「多元史観」を学び始めてからである。古田学説によれば、「古事記」や「日本書紀」は多くの箇所に九州王朝に存在したであろう歴史書からの引用ないしは抜粋を含んでいる。(それらの歴史書は大和王朝によって徹底的に抹殺されて、現在は存在しない。)もしそうだとしたら、九州王朝が存在した筑紫(筑前、筑後)地方の言葉(当時は、おそらく公的言語)が古事記に反映されているのではないか。そう考え始めたのである。
 そこで、ひとつの作業仮説をたててみた。まず、古事記の中に出てくる言葉に中で、現在、標準語では使われていない言葉を抜き出してみる。次に、それらの言葉が、現在の筑紫地方と大和地方で日常的に使われている方言に残っているかどうかを調べる。もし、それらが大和地方の方言と一致すれば、古事記は一貫して大和言葉で書かれていることになる。一方、それらが筑紫地方の方言と一致すれば、古事記のすくなくともその部分は九州王朝の歴史書から抜き取ったものだと結論することができよう。「古事記」成立当時の言語状況において、現在の標準語にあたる共通言語がそれほど発達していたとは考えられないので、この作業仮説は十分な根拠を有するものと考えた。
 以上の作業仮説の元に古事記に現れる「耳慣れない(標準語には無い)」言葉と大和地方および筑紫地方の方言の関係を調査した。(また、特に、「神代編」に関係していると思われる出雲と壱岐・対馬の方言も調べてみた。)ただ、残念ながら、筆者の本職は自然科学研究者であり、「古事記」の原文(漢文や万葉がな)を読みこなすだけの古文書読解能力は無い。ここで典拠としたのは文芸春秋社発行の「口語訳古事記(三浦佑之著)」である。また、大和地方、出雲地方、壱岐・対馬地方の方言に関してはインターネット情報(それぞれ、(1). (2). (3). )を、筑紫地方の方言に関しては「八女の方言研究会」が発行した「八女地方の方言(内山一兄、郷田敏男著)」を典拠とした。したがって、その資料は極めて限定されており、また、言葉の種類も名詞に限定されている。名詞に限定せざるを得なかった理由のひとつは、形容詞や動詞などについては古事記が編纂された過程で、漢文や大和言葉に「翻訳」されている可能性が高いからである。例えば、筑後地方の方言には“えすか(怖い、恐ろしい)”、“おらぶ(叫ぶ)”、“かずむ(匂いを嗅ぐ)”など語源がはっきりしない多くの形容詞や動詞が日常的に使われている。これらの動詞や形容詞などはその意味から容易に漢文や大和言葉に翻訳することができたであろう。
 以下に調査結果を示す。(表中のブランクはその地方の方言には無いことを意味する。おそらく、標準語が普通に使われているのだろう。)

古事記 意味(標準語) 筑紫地方 大和地方 出雲地方 壱岐・対馬
カケ にわとり        
キギシ きじ        
クグヒ 白鳥        
クチナワ へび クチナワ カイトマ−リ クチナワ  
サザキ みそそざい        
シタダミ 細螺 ホーゼ(?)      
シトドリ ほおじろ シト      
シビ まぐろ シビ      
ソニドリ かわせみ ソニドリ      
ソホド かかし オドシ      
タニググ かえる タンガク      


 以上、古事記に現れるいくつかの名詞について、いくつかの方言との比較を示したが、一見して言えることは、古代に使われていた言葉で現在も生きているのは圧倒的に筑紫地方に多いということである。このことは先に述べた筆者の作業仮説を少なくとも限定的には支持しているように思われる。そして、それは、また、日本の古代史に関する古田学説を完全に支持するものである。古田学説によれば、古事記は大和王朝の完全な原著ではなく、そのかなりの部分(特に「神代編」)は九州王朝の歴史書からの引用であり、それを「換骨奪胎」して、大和王朝史に埋め込んだものである。(例えば、古事記の「序文」でも、「諸所の家に持ち伝えている『帝紀』と『本辞』とは、すでに真実の内容とは違い、多くの虚偽を加えている」として、その誤りを改めることが古事記編纂の目的とされている。)もし、そうだとすれば、その引用部分の元になった原本の言語は九州王朝の公用語ないしは筑紫地方で日常的に使われていた言語だったことは想像するに難くない。古事記は基本的には「万葉がな」で書かれた「大和言葉」および漢文で書かれているが、筑紫(倭)言葉で書かれた部分を大和言葉に翻訳する際に一部の「翻訳漏れ」が生じたのではあるまいか。古事記の序文にこれらの事情を示唆する文章が見られるので、少し長くなるが以下に引用する。

「しかしながら、遥か上古の時代は、言葉も意味もともに朴直であり、文字面を整え句を構成するに際して、渡来の文字を用いて書き記すのは困難を伴うことであった。すべての言葉を唐の文章によって叙述したのでは、記された言辞が上古の心に及ばない。また逆に、すべての言葉を音を生かしながら書き連ねたのでは、文字の数があまりにも多くて伝えたい趣旨が間延びしてわかりづらい。短い一句の中であっても、大和の音と唐の訓とを交え用い、わかりやすい場合には、一つの出来事を語りきるほどに長い叙述であっても、すべて唐の文章を用いて記録した。」

 以上、筑紫地方で使われている方言と古事記で使われている言語の関係を調べることにより、古事記に刻印された「九州(筑紫)王朝の歴史書」の残影を浮き彫りにする試みを行った。当初は、古事記(特に、「神代編」)に現れるすべての言葉(名詞、動詞、形容詞、副詞などを含む)を同様の手法で調べるつもりであったが、その努力は無駄であることを認識した。古事記の「序文」に、この書物の言語が基本的に漢文および大和言葉(万葉がな)であること、また、以前の文献を引用、抜粋する場合には、その言語を漢文および大和言葉に翻訳して記述している旨が記されているからである。しかしながら、この小論で行った「方法論」自身は、間違っていないと信じる。例えば、万葉集において、大和地方で詠まれたとされている歌の中に、筑紫地方を舞台にしたと思われる歌が多数含まれていることが、古田氏によって指摘されている。(古代史の十字路 -- 万葉批判〈古田武彦〉)古田氏は、また、それらの歌の作者(「詠み人しらず」など)や意味を解明することが、大和王朝によって隠蔽・歪曲された真の古代史を明らかにする上で重要な意味をもつことを繰り返し述べておられる。万葉集は本質的に和語(大和や筑紫の言葉)で詠まれた歌であるから、それには地方の方言がそのまま反映されている可能性が高い。そのような視点からの研究の発展に本小論がいくらかでも資することができれば幸いである。

インターネット情報
 (1).http://www.magatama.org/hougen.html
 (2).http://www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_sub_hougen_izumo.html
 (3).http://jh6bwd.web.fc2.com/hougen.htm、http://ja.wikipedia.org/wiki/


 これは会報の公開です。

新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから

古田史学会報一覧

ホームページ


Created & Maintaince by" Yukio Yokota"