気づきと疑問からの出発
相模原市 冨川ケイ子
古田史学の会の論集『古代に真実を求めて』第二十集の題名をめぐって会員の間で議論が起きています。これまで「九州年号」と呼んできたものを「倭国年号」としたのはなぜなのか、と。
書物を出版して町の書店の本棚に並べたとき、題名にある「倭国年号」という語は、近畿天皇家の年号について書かれた本だという「誤解」を招くのではないか、という心配は当然あることでしょう。同様に副題の「大和朝廷」もまた学校などでは、大和盆地に始まった政治権力で、後に日本全国を統一することになるが、少なくとも4世紀には西日本を支配下においた、などと教えられているわけで、「大和朝廷以前」の意味を取り違える人もありそうです。
この本の「大和朝廷」は八世紀以後の「日本国」のことだ、とお聞きして、一つの言葉に二つの意味が重ねてあるのがおもしろいと思いました。書名に引かれてこの本を手にした人が、古田史学を知っているとは限りません。同じ名称であっても、定義が全然違います。行き違いは想定内なのだと思います。
古代史の本を読んでいて、読みやすいな、と思いながら読み進むうちに、だんだん違和感が出てくる。何だかおかしい、と思い始める。そしてついに、あ、これいったいこれは何だろう、と疑問を持ってもらいたい。そうした気づきと疑問が、古田史学への入り口だと思います。
そういう意味で、一般の人が誤解しないようにと入り口の敷居を下げるのは、親切に似ていますが、親切ではありません。一元史観に遠慮することなく古田史学の用語を正しくきちんと使っていけば、誰の目にも明らかになっていくことでしょう。二つの異なる意味があるかに見えた「倭国」という語の実体は、近畿天皇家ではなく「九州王朝」だったのだ、と。「九州王朝」が制定した「九州年号」はまさしく「倭国年号」だったのだ、と。
会員の間にまで論議を巻き起こした「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」。何とも刺激的な題名ですね。
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