三内丸山遺跡の虚構の六本柱大原重雄(会報175号)
男神でもあったアマテラスと姫に変身したスサノオ 大原重雄(会報177号)
男神でもあったアマテラスと
姫に変身したスサノオ
京都府大山崎町 大原重雄
記紀の説話にはその解釈に誤解があって、本来の話の真意が伝わりにくくなっているものがあることを、いくつかの事例で説明する。既に多くの研究者によって指摘されていることを利用させていただき、そこにわずかな私見を交えて論じるものであることをお断りしておく。
【1】アマテラスは女性神なのか?
日本書紀に記された乙巳の変の説話の多くはつくられたものであり、その狙いの一つに藤原氏の祖とされる鎌足を卓越した行動力と才知あふれる人物として礼賛することがあった。たとえば、用心深い蘇我入鹿の刀を預かるために、鎌足の智恵で俳優を近づける。すると入鹿は疑うことなく咲って相手に刀を渡してしまう。俳優がどのように働きかけたのか書紀は全く記していない。岩波の解説では、俳優わざひとは芸人などという説明があるだけで、これでは護身用の刀をあっさりと渡す理由にはならない。
日本書紀にはこの俳優という表現が、海幸山幸の説話と岩戸神話のアメノウズメの仕草に使われている。乙巳の変の俳優は後者のアメノウズメを人物像として想定したのであろう。岩戸にこもるアマテラスに対して、ウズメは妖艶に舞い八百万の神も盛り上がる。そして、外の様子を見ようとしたアマテラスを岩戸から引き出すことが出来た。乙巳の変の場合も、俳優とはアメノウズメのような妖艶な女性であり、意味深に入鹿に近づいて何かを語る。用心深い入鹿も「咲って」刀を渡してしまう。ただこれは史実ではなくあくまで書紀編者がそのように想定したことであって、俳優の役割がこれで理解できるのである。だが、この話はその説得力という点でやや弱い部分がある。それはアメノウズメの相手が女神であることだ。だがこれが男神であれば、たいへんわかりやすい話となるのではないか。
【2】あとから女神にされたアマテラス
京都の祇園祭の岩戸山の山車にはアマテラスの人形が飾られている。祇園祭のハウツー本にはこの人形が、髭を生やした男性神と当たり前のように説明されている。京都界隈では、アマテラスが男性であったのは常識だったのであろうか。茨城県北相馬郡の布川神社の絵馬にも、髭の描かれたアマテラス像が岩戸の隙間に描かれている。さらには江戸時代の鯰絵にも髭を生やした天照大神が描かれて庶民に出回っている。
研究者の中にも認識があり、両性具有の神などともっともらしい表現も見られる。既に指摘されていることだが、古事記にはアマテラスが女神であるとは、それをうかがわせる表現はあっても明確なものはない。(注1)日本書紀も客観的な文面には女性神とは書かれておらず、スサノオとのうけいの場面で、彼が「姉」と何度も述べ、彼の悪行の中で「姉田」という表記はある。またアマテラス本人は武装する際に「婦女」と述べる箇所が一度だけ見られる。
津田左右吉氏は、ウケイの場面では、男を生まば心正し、女を生まば邪なりとあるのは、日の神が女神であれば不適切な詞とされるのはもっともなことであろう。また、同じ方法で子を生むというのも、両者が男神であったからで、女神なら別の方法となるという指摘ももっともだ。
世界の事例からも元々の太陽神は女性神だけではなく、男性神の場合もあったのであり、このアマテラスも男性と認識されていたこともあったのではないか。古事記では女性と明記しなかったが、日本書紀はアマテラスを女性神にする手直しを施しており、これを、当時の中国の武則天や日本の女性天皇の存在を反映させたとの意見もある。何らかの事情、前王朝の太陽神を否定するような意図も考えられる。日本書紀では女性神とされたが、男性神であるという様々な伝承から、江戸時代には男性神としての認識もみられたのが、これが明治に入ると女性神であることに徹底されたのであろう。
よって、アメノウズメの意味深な仕草の舞は、男性神に対するものとして想定されたものと考えたい。
【3】スサノオに気づかなかったヤマタノオロチ
有名なオロチ退治の説話も、実はよく考えれば奇妙な点がある。スサノオはクシナダヒメを櫛に変えて髪にさしてオロチに臨む。やってきたオロチは捧げられた酒を飲みほして酔いつぶれる。そこをスサノオが斬りつける。
めでたしめでたしのお話のようであるが、ここに異論を唱える研究者は、江戸時代からあったようだ。(注2)
これは山口博氏の指摘だが、その場にめざす人身御供の娘の姿がなく、かわりに髭面で剣を持つ男が控えていれば、オロチは怒り、酒も飲まずに暴れるのではないか。もっともな指摘であろう。
そこで日本書紀の本文の該当箇所を見直したい。まずは原文。
素戔嗚尊、立化奇稻田姫、爲湯津爪櫛、而插於御髻
次に岩波文庫版の書き下し
素戔嗚尊すさのをのみこと、立たちながら奇稻田姫くしなだひめを、湯津爪櫛ゆつつまぐしに化為とりなして御髻みづらに挿さしたまふ。
そして指摘され、改められた解釈。
スサノオは立らクシナダヒメに化なして、湯津爪櫛を爲つくりて御髻に挿したまふ。
以上のように、化は姫に、為は櫛に対応すると見るほうが自然である。通常の解釈の「化」と「為」をくっつけて「化為」という熟語にするのは無理がある。するとスサノオは自らが姫に姿を変えたのであり、クシナダヒメを櫛に変えるというのが奇妙な解釈であったことになる。さらに岩波や小学館は、原文を掲載しているが、この該当箇所では、返り点が本文の読み下しとは違っているのである。この原文の返り点に従えば、スサノオは、姫に変身(女装)して、櫛をつくって、みずらに挿した、と読めるのである。
次に古事記の場合を見ると、その該当箇所の文面は微妙だ。
爾速須佐之男命、乃於湯津爪櫛取成其童女而、刺御美豆良
すなはちゆつ爪櫛にそのオトメを取り成して、御みづらに刺して とされている。確かにそのように読める。ここに「取成」があるが、日本書紀には登場しない熟語である。古事記ではあと一カ所、タケミカヅチとタケミナカタの対決の所で2回使われる。
即取成立氷、亦取成劒刄
タケミナカタがタケミカヅチの手を取ると、その手が、つららに変化し、また剣に変化したというのである。取るという漢字にまどわされるが、「取成」は変化、変身するという意味である。
しかし、日本書紀と同じように、姫を櫛に変身させるというのも奇妙な話であり、この古事記の箇所も、「於」を「…を」とすれば、スサノオは、櫛を、オトメに変身して、みずらに挿した、と読めるかもしれない。古事記の場合は、誤字脱字など後の誤写の可能性もあるが、日本書紀では、後の誤読による解釈が広まったと言える。
すなわち、ヤマタノオロチは、スサノオの変身である人身御供の女子を前にして、何の疑いもなく気分よく出された酒を飲み干すのである。
山口博氏は、ここで江戸時代の川柳を紹介されている。
『神代にもだますは酒と女なり』
【4】何度も使われた相手を欺いて目的を達する手法
この手法は景行紀にヤマトタケルによる熊襲国の川上梟帥かはかみのたけるを殺害する説話にも使われている。酒宴の席に女装してもぐり込んだヤマトタケルを、カハカミノタケルは気に入って横に侍らせて酔いつぶれてしまう。そこをヤマトタケルは隠し持った剣で相手の胸を刺すのである。
また、女性なのか女装なのかが微妙な事例もある。神武紀の道臣命みちのおみのみことは、残党を討ち取るために、酒宴を設けて敵を招き入れる。宴もたけなわになると、道臣本人が立って舞うことを合図として一斉に襲撃する。この道臣は神武の頼もしい片腕として行動する武人として描かれている。だが酒に酔った相手に、男が舞っても盛り上がらないであろう。道臣も女性だったのだろうか。この一節の前に、神武が道臣を厳媛いつひめと名付けているのである。岩波注では、神を斎祀する者を斎主といい、これは女性の役であったから、イツヒメの名が与えられた、というやや苦しい解説になっている。女装して神事を行うというのであろうか。すると道臣は女装していた、もしくは女性として酔った男どもの気を引くような舞を行ったと考えられる。
さてこういっただましの手法は、似た例が大陸に見受けられる。ヘロドトスの『歴史』によれば、西アジアのメディア王キャサクレス(BC625~585)とスキタイとの抗争で、キャサクレスはスキタイを宴会に招いて酒に酔わせ、彼らの大部分を殺害したという。遊牧騎馬民はこういった相手を欺く戦法をよく使ったようだ。形勢が不利になると逃げるふりをして、追いかけてきた相手に逆襲することがある。逃げながら馬上から振り返りざまに矢を打つことをパルティアンシュートという。彼らにとっては卑怯とかではなく重要な戦法だったのだ。
こういった文化や説話を持つ集団が倭国にも入り、語り継がれた話を知る記紀の編者がいて、いくつもの説話に応用されたのではないだろうか。
(注1)古事記では、イザナギはイザナミを那邇妹とし、イザナミはイザナギを那勢と呼んでいる。那勢は女性から男性を親しんで呼ぶ語とされており、アマテラスもスサノオを那勢と言っている。
(注2)江戸時代伊勢外宮権禰宜の渡会延佳、江戸国学者白井宗因、高崎正秀(続草薙剣考)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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