大阪日日新聞
2003年(平成15年)1月25日土曜日 北区
古代史研究家・古田武彦さんの「新春講演会」がこのほど、北区茶屋町の北市民教養ルームで開かれ、「歴史のまがり角と出雲弁 -- 人類の古典批判」と題したユニークな自説が展開された。古田史学の会(水野孝夫代表)が開いた。
古田さんは、ロシアのウラジオストクから出土される黒曜石の50%が出雲地方の物と同じで、40%が東北地方の物と同じ、残りの10%は不明という事実に着目。次に「ずうずう弁」が東北地方だけでなく、出雲地方も存在することを指摘した。さらに「国引き神話」に出てくる「北戸の農波の国」をウラジオストクと読み、これらのことから独自の論理を展開。集まった約六十人の会員らに、「古代ウラジオストク人が東北地方と出雲の国へやって来た。っまり古代ウラジオストク人はずうずう弁だった」という奇想天外な新説を紹介した。
熱心に耳を傾けていた、八尾市のいずみ苑主宰、泉佳保子さんは「古田先生の発想には驚かされました。古代史をひも解いていくと面白い発見ができますね」と話していた。(杉本康記者)
大阪日日新聞
2002年(平成14年)12月28日 土曜日 北区
古田史学の会(水野孝夫代表)の月例研究発表会が二十一日、北区茶屋町の北市民教養ルームで開かれた。会員約二十五人が参加し、古代では一年に二回年を取る「二倍年暦」が採用されていた、などとする独自の研究成果が発表された。
同会は古代史研究家の古田武彦さんと共に古代史を研究する会。古田さんの学説を支持する、しないは関係なく、会員が研究成果を発表、議論を交わし合っている。
最初に「日本書紀における天皇の記念日」と題して西村秀巳さんが発表。古代天皇(神武-持統)の立太子日や崩御日を表にすると、圧倒的に月の一日ー十五日までが多く、「古代では一月ー十二月を年二回繰り返していたのではないか」という仮説を提示した。続いて、同会事務局長の古賀達也さんが「『日本書紀』と『養老律令』の二倍年暦」と題して発表。書紀の資料分析から、「二倍年暦は舒明天皇の時代まで続いていた」と自説を述べた。さらに古賀さんは「学問の方法と倫理-多元史観か九州原理主義か」と題する研究を報告。研究は文献の分析などで裏打ちされるべきなのに、人によっては確かな根拠もなく歴史事赫を九州に持ってくるケースがあることを指摘。これを九州原理主義と名付け、「近畿天皇一元史観と同様の九州王朝一元史観に陥る危険性がある。多元史観とは厳密に区別されなければならない」と自戒も込めて力説した。このほか伊藤義彰さんと太田齊二郎さんが、それぞれの研究を発表した。同会への連絡は、水野代表へ。
(杉本康記者)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実をめて』(明石書店)第一〜六集が適当です。(全国の主要な公立図書館に御座います。)
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