歴史のまがり角と出雲弁2 古田武彦『古代に真実を求めて』第七集
古田武彦
一
思ったことも、なかった。七十六歳の今日に至るまで予想さえしたことがなかったのである。このような、大いなる「歴史の曲り角」に立とうとは。
通例、「曲り角」と言えば、それは歩いてきた大道から、岐路、つまり横道へ向かう。そういうときに“使い馴れ”た言葉だった。もちろん、単なる十字路でもいい。
一昨年出した、万葉集の第一冊が『古代史の十字路』と題されていたように、万葉集に対する批判的考察によって、従来の解釈とは別方向の、“相容れざる”道に向かう、その交差点に立った。そういう感じだった。
だが、今回の「曲り角」は、それとは全く別だ。従来、歩いてきた道の方が「岐路」だった。いわば横道だったのである。それが今回、「曲り道」に達してみると、全く異なる新世界に遭遇した。本来の「歴史の大道」がはるかに見えてきたのであった。
二
発端は「国引き神話」だった。出雲風土記の冒頭を飾る神話である。
八束水臣津野命が、四方から国を引き寄せたという。「四方」とは
(一)志羅紀の三崎──新羅
(二)北門の佐紀の国──ムスタン岬(北朝鮮)〈大社町鷺浦。岩波〉《北門》
(三)北門の良波の国──ウラジオストック〈八束郡島根村農波。岩波〉《北門》
(四)高志の都都の三崎──能登半島
右の(二)(三)について、従来は、岩波の日本古典文学大系の注のように、島根県の北岸部の地名(鷺浦・農波〈良波を原文改定〉)に当ててきた。わたしはこれを非とし、これらそれぞれムスタン岬(北朝鮮)・ウラジオストック(ロシヤ)に当てた。それを新たな仮説としたのである。すなわち、この神話(縄文神話。金属器が出現していない。綱と杭のみ。)は、日本海の西半分を「世界」とする海洋神話と見なしたのである。(荒神谷発掘の年、斐川町で講演)
三
一九八七年七月、わたしはウラジオストックへ向かった。右の仮説を検証するためである。もし、この仮説が正しければ、
1. 縄文時代において「出雲──ウラジオストック」間において、交流があった。
2. そのさいは、出雲の隠岐島産の黒曜石の鏃がウラジオストック周辺から出土しているはずである。(黒曜石は「金属器以前」の重要材質)
右のように考えた。その検証だった。
けれども、当地(ウラジオストック)の博物館が長期休館中であり、わたしの目的(黒曜石検証)は、いったんは「挫折」した。(ウラジオストックのシンポジウムで、わたしの立論を報告。阪大の藤本和貴夫氏の御配慮をえた。)
しかしさの反応が現れた。八ヶ月たった、翌年(一九八八)の五月、ソ連の二人の学者(ノボシビスク・ルスラン・S・ワシリエフスキー氏、アレクサンドル・I・ソロビヨフ氏。ソ連科学アカデミーシベリア支部、歴史文献哲学研究所)が、問題の黒曜石の鏃、七十個(ウラジオストック周辺数百キロ内の五十数個の遺跡で出土)をたずさえて来日、立教大学の理学部の鈴木正男教授によって屈折率測定が行われた。
それによると、その五〇パーセントが「出雲の隠岐島の黒曜石」、四〇パーセントが「津軽海峡圏の黒曜石」(北海道の赤井川〈函館の北〉産出)であることが判明した(一〇パーセントは不明)。
この講演(ワシリエフスキー氏)を、連絡を受けたわたしは早稲田大学の考古学実験室の会場で、あまりにも深い感銘を以て聞いたのである(※五月十日)。
わたしの「縄文神話」に関する仮説は、まさに真実(リアル)だったのである。
四
以上は、すでに何回も述べたことがある(講演、昭和薬科大学退職記念報告集等)。関係者、周知のところだ。新たな、わたしの仮説は右の到着点から出発したのである。
それは、いわゆる「ズーズー弁」の問題だ。東北地方(及び茨城県等)と共に、飛びはなれて出雲がこれに属する。(松本清張氏が『砂の器』で紹介。東条操の『方言分布図』に依拠。)
わたしは次のように考えた。
第一、ウラジオストック周辺の二種の黒曜石の「原使用領域」(出雲と津軽)は、いずれも「ズーズー弁の使用圏」である。(併せて九〇パーセント)
第二、これを「偶然の一致」とすることは困難である。
第三、すなわち、「原、ウラジオストック人」(靺鞨族等。ツングース系か)自体が、発声上、いわゆる「ズーズー弁」系であり、その人々が、一方は出雲へ、他方は津軽へ進出した。(逆は考えにくい。──偶然主義に陥る。)
第四、「国引き神話」の「国引き」対象地である「四方」中、(一)志羅紀と(四)越の二点は「国」の表記がない。これに反し、(二)と(三)の「北門」のみが「国」とされている。
この点から見ると、本来の「国引き」は「北門の国」からの「国引き」であり、(一)と(四)は“プラス・アルファ”すなわち「追加」部分と見なさなければならない。その上、「国」とは「土地」と共に「人」を加えた概念である。従ってこの「国引き神話」は、本来
「ウラジオストック→出雲」
という「人間の渡来」を語る説話であった。すなわち
「出雲人の歴史と、その成立」
を語る神話そのものだったのである。(つづく)二〇〇三・一月五日、記。
※日付は平田英子氏の調査による。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実をめて』(明石書店)第一〜六集が適当です。(全国の主要な公立図書館に御座います。)
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