2013年12月10日

古田史学会報

119号

1、続・古田史学の真実
    切言
   古田武彦

2、観世音寺考
観世音寺と観音寺
  古賀達也

3、『管子』における里数値
  古谷弘美

4、すり替えられた九州王朝
  の南方諸島支配
  正木裕

5,「天朝」と「本朝」
「大伴部博麻」を顕彰する「持統天皇」の「詔」からの解析
  阿部周一

6、“「実地踏査」であることを踏まえた『倭人伝』の行程について“を読んで
  中村通敏

7,文字史料による「評」論
「評制」の施行時期について
  古賀達也

8.トラベル・レポート --
讃岐への史跡チョイ巡り
  萩野秀公

9.「春過ぎて夏来るらし」考
  正木裕

10,独楽の記紀
なぜ、「熊曾国」なのか
  西井健一郎

 

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染色化学から見た万葉集 紫外線漂白と天の香具山 古賀達也(会報26号)

 


「春過ぎて夏来るらし」考

川西市 正木 裕

 万葉二八番歌に「春過ぎて夏来るらし 白栲の衣乾したり天の香来山」とある。 
 春が過ぎれば夏なのは当たり前。
 この上の句は、何故そんな「当たり前」のことを詠ったのか。
 古来二四節気で春の終わり三月の節気は「清明」で、清明節 (「掃墓節」とも)は先祖を供養し、墓参りや掃除を行う日とされた。
 また、この日に合わせて納骨も行われたという。
 仏事には「素服(白栲・たへ・こうぞ類の皮の繊維で織った白布)」をまとうのが正式であり、一斉に白栲の服が用いられたと考えられる。
 『隋書』イ妥国伝でも「死者は棺槨に収め、親しき賓(客)は屍に就て(傍らで)歌舞し、妻子兄弟は白布で服を製る」とある。 
 そして、中気は「穀雨」と雨が多くなり、衣を干すには適さない。
 「穀雨」が明ければ夏四月の「立夏」となり、古賀達也氏によれば、この時期は紫外線が布を晒すのに最も適しているという。
 夏が来て仏事に用いた白栲が、一斉に洗われ干される事となるのだ。
 「当たり前」の事を詠った、などとんでもなかった。
 一斉に干された白栲の中に、「清明」「穀雨」「立夏」という「節季」の推移を感じ、「春過ぎて夏来るらし」と一気に読み込んだ、感性的にも技巧的にも優れた歌だった。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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