染色化学から見た万葉集 紫外線漂白と天の香具山 古賀達也(会報26号)
「春過ぎて夏来るらし」考
川西市 正木 裕
万葉二八番歌に「春過ぎて夏来るらし 白栲の衣乾したり天の香来山」とある。
春が過ぎれば夏なのは当たり前。
この上の句は、何故そんな「当たり前」のことを詠ったのか。
古来二四節気で春の終わり三月の節気は「清明」で、清明節 (「掃墓節」とも)は先祖を供養し、墓参りや掃除を行う日とされた。
また、この日に合わせて納骨も行われたという。
仏事には「素服(白栲・たへ・こうぞ類の皮の繊維で織った白布)」をまとうのが正式であり、一斉に白栲の服が用いられたと考えられる。
『隋書』イ妥国伝でも「死者は棺槨に収め、親しき賓(客)は屍に就て(傍らで)歌舞し、妻子兄弟は白布で服を製る」とある。
そして、中気は「穀雨」と雨が多くなり、衣を干すには適さない。
「穀雨」が明ければ夏四月の「立夏」となり、古賀達也氏によれば、この時期は紫外線が布を晒すのに最も適しているという。
夏が来て仏事に用いた白栲が、一斉に洗われ干される事となるのだ。
「当たり前」の事を詠った、などとんでもなかった。
一斉に干された白栲の中に、「清明」「穀雨」「立夏」という「節季」の推移を感じ、「春過ぎて夏来るらし」と一気に読み込んだ、感性的にも技巧的にも優れた歌だった。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから。古田史学会報一覧へ
Created & Maintaince by" Yukio Yokota"