平成三〇年(二〇一八)新年のご挨拶 古田先生三回忌を終え、再加速の年に (会報144号)
【令和二年、新年のご挨拶】 「古田史学の会」の事業にご協力を (会報156号)
〈年頭のご挨拶に代えて〉
二〇一九年、新年の読書
古田史学の会・代表 古賀達也
一、わたしの新年のテーマ
みなさま、あけましておめでとうございます。
年末から二〇一九年の研究テーマなどを考えてきました。そして、古代史研究の他に、古田先生の「学問の方法」について、わたしが学んできたことや感じてきたことなどを「洛中洛外日記」などで紹介することをテーマの一つとすることにしました。
二、古田先生の〝学問の原点〟
古田先生の「学問の方法」については少なからぬ人が今までも述べてこられました。例えば昨年十一月の「古田武彦記念古代史セミナー」では大下隆司さん(古田史学の会・会員、豊中市)が具体的にレジュメにまとめて発表されました。特に次の四点を紹介され、わたしも深く同意できました。
【古田先生の〝わたしの学問の原点〟】
(一)学問の本道は、あくまでソクラテス、プラトンの学問とその方法論にある。
(二)論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも。
(三)「師の説にななづみそ」(先生の説にとらわれるな)(本居宣長)
(四)自己と逆の方向の立論を敢然と歓迎する学風。
いずれも古田先生から何度も聞かされてきた言葉であり、先生の研究姿勢でした。セミナーでは質疑応答の時間が限られていましたので、この四点については賛意を表明し、質問は差し控えました。しかし、わたし自身もまだよく理解できていないのが(一)の〝学問の本道は、あくまでソクラテス、プラトンの学問とその方法論にある〟でした。先生がこのように言われていたのはよく知っているのですが、〝ソクラテス、プラトンの学問とその方法論〟とは具体的に何を意味するのか、どのような方法論なのか、わたしは古田先生から教えていただいた記憶がありません。
もしあるとすれば、(二)の〝論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも〟です。この言葉は古田先生の広島高校時代の恩師である岡田甫先生から講義で教えられたというソクラテスの言葉だそうです。ただ、プラトン全集にはこのような言葉は見つからず、恐らくソクラテスの思想や学問を岡田先生が意訳したものと古田先生は考えておられました。
こうした問題意識を持っていたこともあり、正月休みにプラトンの『国家』とマックス・ウェーバー(一八六四 〜 一九二〇)の『職業としての学問』を久しぶりに読みなおしました。
三、『職業としての学問』での指摘
わたしは、「学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深める」と常々言ってきました。また、「異なる意見の発表が学問研究を進展させる」とも言ってきました。しかし、なかには自説への批判や異なる意見の発表に対して怒り出す人もおられます。これは〝古田先生の学問の原点〟の〝自己と逆の方向の立論を敢然と歓迎する学風〟とは真反対の姿勢です。
わたしは化学を専攻し、仕事は有機合成化学(染料化学・染色化学)です。従って、自然科学においては、どんなに正しいと思われた学説も五十年も経てば間違っているか不十分なものになるということを化学史の経験から学んできました。人文科学としての歴史学も、「科学」であるからには同じです。そのため、古代史研究においても新たな仮説を発表するときは、「今のところ、自説は正しい(有力)と、とりあえず考える」というスタンスで発表しています。これと同様のことをマックス・ウェーバーは『職業としての学問』で次のように述べています。同書は一九一七年にミュンヘンで行われた講演の記録です。
〝(前略)学問のばあいでは、自分の仕事が十年たち、二十年たち、また五十年たつうちには、いつか時代遅れになるであろうということは、だれでも知っている。これは、学問上の仕事に共通の運命である。いな、まさにここにこそ学問的業績の意義は存在する。(中略)学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。(中略)われわれ学問に生きるものは、後代の人々がわれわれよりも高い段階に到達することを期待しないでは仕事することができない。原則上、この進歩は無限に続くものである。〟(『職業としての学問』岩波文庫版、三〇頁)
ここで述べられているマックス・ウェーバーの指摘は、学問を志すものにとって忘れてはならないものです。古田先生が〝わたしの学問の原点〟とされた、次の二つのこととも通底しています。〝「師の説にななづみそ」(先生の説にとらわれるな)(本居宣長)〟〝自己と逆の方向の立論を敢然と歓迎する学風〟。
四、村岡典嗣先生の学問の指針
古田先生が学問について語られるとき、東北大学時代の恩師で日本思想史学を創立された村岡典嗣先生(むらおか・つねつぐ、一八八四―一九四六)の次の言葉をよく紹介されていました。
「学問は実証よりも論証を重んずる」
この村岡先生の言葉は、近年では二〇一三年の八王子セミナーでも古田先生が述べられ、注目を浴びました。『よみがえる九州王朝 -- 幻の筑紫舞』巻末の「日本の生きた歴史(十八)」にもそのことが書かれています。一九八二年(昭和五七年)に東北大学文学部「文芸研究」一〇〇~一〇一号に掲載された「魏・西晋朝短里の方法 -- 中国古典と日本古代史」でもこの村岡先生の言葉が「学問上の金言」として紹介されています。同論文はその翌年『多元的古代の成立・上』(駸々堂出版)に収録されましたので紹介します。
「わたしはかって次のような学問上の金言を聞いたことがある。曰く『学問には「実証」より論証を要する。(村岡典嗣)』と。
その意味するところは、思うに次のようである。“歴史学の方法にとって肝要なものは、当該文献の史料性格と歴史的位相を明らかにする、大局の論証である。これに反し、当該文献に対する個々の「考証」をとり集め、これを「実証」などと称するのは非である。”と。」(七九頁)
(古田武彦「魏・西晋朝短里の方法 -- 中国古典と日本古代史」『多元的古代の成立[上]邪馬壹国の方法』所収、駿々堂出版、昭和五八年)
このように古田先生は三十年以上前から、一貫して村岡先生の言葉「学問は実証よりも論証を重んずる」を「学問の金言」として大切にされ、晩年まで言い続けられてきました。この言葉は〝古田先生の学問の原点〟である〝論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも〟と意味するところは同じです。「論理の導き」とは「論証」のことであり、「たとえそれがいずこに到ろうとも」という姿勢こそ、「論証を重んずる」ことに他なりません。
村岡先生の「学問は実証よりも論証を重んずる」と岡田先生の「論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも」が学問的に一致することに、昭和初期における両者の親交の深さを感じさせます。そしてその交流が古田武彦という希代の歴史家を生んだといっても過言ではありません。岡田先生は愛弟子の古田武彦青年を東北帝国大学の村岡先生に託されました。村岡先生も古田青年の入学を心待ちにされており、東北大学の同僚からは「君の〝恋人〟はまだ来ないのかね」と冷やかされていたとのこと。
あるとき、わたしは古田先生になぜ村岡先生がおられる東北大学に進まれたのですかとお訊きしたことがありました。「岡田先生の推薦であり、何の迷いもなく村岡先生のもとへ行くことを決めました」とのご返事でした。広島高校時代、古田先生は授業が終わると毎日のように岡田先生のご自宅へ行かれ、お話を聞いたとのことです。ですから、その岡田先生の推薦であれば当然のこととして東北大学に進学されたのです。このような経緯により、東北大学で古田先生は村岡先生からフィロロギーを学び、ソクラテスやプラトンの学問を勉強するために、村岡先生の指示によりギリシア語の単位もとられました。こうして、古田先生の〝学問の原点〟の一つに「ソクラテスやプラトンの学問の方法」が加わりました。
五、ソクラテスの学問の方法
ソクラテスやプラトンの学問の方法について深く具体的に知りたいと願っていたのですが、マックス・ウェーバーが『職業としての学問』で触れていることに気づきました。次の部分です。
〝かの『ポリテイア』におけるプラトンの感激は、要するに、当時はじめて学問的認識一般に通用する重要な手段の意義を自覚したことにもとづいている。その手段とは、概念である。それの効果は、すでにソクラテスにおいて発見されていた。(中略)だが、ここでいうその意義の自覚は、ソクラテスのばあいが最初であった。かれにおいてはじめていわば論理の万力まんりきによって人を押えつける手段が明らかにされたのであり、ひとたびこれにつかまれると、なんびともこれから脱出するためにはおのれの無智を承認するか、でなければそこに示された真理を唯一のものとして認めざるをえないのである。〟(『職業としての学問』岩波文庫版、三十七頁)
ここに記された「学問的認識一般に通用する重要な手段」としての「概念」という表現は難解です。しかし、「いわば論理の万力によって人を押えつける手段」ともあることから、「論理の万力」とは論理による証明、すなわち他者を納得させうる「論証」のことではないかと思います。
もし、この理解が妥当であればソクラテスやプラトンの学問の方法論とは「論証」に関わることではないでしょうか。そうであれば、村岡先生の「学問は実証よりも論証を重んずる」という言葉や岡田先生の「論理の導くところに行こうではないか、たとえそれがいずこに到ろうとも」、そして古田先生がよく語っておられた「論証は学問の命」という言葉に示された「論証」、すなわち「論理の力」(論理の万力)こそがソクラテスやプラトンの学問の方法論の象徴的表現のような気がします。
プラトンが著した『ポリテイア』、すなわち『国家』を新年の読書の一冊に選んだ理由はこのことを確かめることが目的でした。もちろん、まだ結論は出ていません。この追究がわたしの新年のテーマです。
(二〇一九年一月三日、記了)
これは会報の公開です。
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