2019年 2月12日

古田史学会報

150号

1,太宰府条坊の存在は
そこが都だったことを証明する
 服部静尚

2,『後漢書』
「倭國之極南界也」の再検討
 谷本 茂

3,『論語』
二倍年暦説の史料根拠
 古賀達也

4,新・万葉の覚醒(Ⅱ)
万葉集と現地伝承に見る
「 猟に斃れた大王」
 正木 裕

5,稲荷山鉄剣象嵌の金純度
蛍光X線分析で二成分発見
 肥沼孝治

6,〈年頭のご挨拶に代えて〉
二〇一九年、新年の読書
古田史学の会・代表 古賀達也

 

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 稲荷山鉄剣銘文の新展開について -- 「関東磯城宮」拓出と全面調査(会報59号)

曹操墓と日田市から出土した鉄鏡 古賀達也 (154号)


稲荷山鉄剣象嵌の金純度

蛍光X線分析で二成分発見


東村山市 肥沼孝治

 今から四十年ほど前に埼玉県行田市の稲荷山古墳で金象嵌の鉄剣が発見されたことは大変古代史研究を進めるはずのできごとだった。残念ながらこの発見は一元史観を強化する方向での解釈が多いようだが、そこに古田武彦氏の『関東に大王あり』が登場して、「地元のカタシロ大王」という画期的な解釈を示すことになった。
 ところで、ウィキペディアを読んでいたら、下の方にその後の研究として、以下のようなものが出ていた。さらに「材質調査」が行われていたのである。(は私が付けた。そこが材質の変化する場所である)

(表)
辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(裏)
其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

 「二〇〇〇年と翌二〇〇一年にかけて行われた、金象嵌の材質調査(蛍光X線分析)によって、象嵌に使われている金には、銀の含有量が少ないもの(一〇%ほど)と多いもの(三〇%ほど)の二種類あることが判明した。その二種類の金は、表は三五字目、裏は四七字目から下の柄側には銀の含有量が少ないもの、切先側には銀の含有量が多いものが使われている。二種類の純度の違う(結果として輝きの異なる)金を鉄剣銘文の上下で使い分けた理由は不明である。」
 早川泰弘・三浦定俊「埼玉稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣の金象嵌銘文の蛍光X線分析」『保存科学』第四二号、二〇〇三年(次のウィキペディアに引用されたもの。※「稲荷山古墳出土鉄剣」(https://ja.wikipedia.org/wiki/稲荷山古墳出土鉄剣)

 変化のグラフが見事でした。
 「二種類の純度の違う(結果として輝きの異なる)金を鉄剣銘文の上下で使い分けた理由は不明である」とのことであるが、意味としては、ちゃんとしたところで切れてはいる。「手元のところに手厚く金の含有量の多いものを使った」という感じかなあ。
 銀を一〇%入れたものと三〇%入れたものではどれくらい輝きが違うのかをちょっと調べてみた。
 ※「金の純度に関する基礎知識」(https://nanboya.com/gold-kaitori/post/金の純度に関する基礎知識/)
 大雑把なところでいうと、金九〇:銀 一〇は「二二金」に、金七〇:銀三〇は「十八金」に近いものだ。私も十八金の万年筆を使ったことはあったが、「ちょっと見ただけでは素人にはあまりわからない違い」のように思うが、いかがだろうか。どなたか専門の方はいらっしゃいませんか?「いやー、全然違いますよ」とか・・・。

図6 国宝金錯銘鉄剣の金象嵌銘文の蛍光X線分析


 これは会報の公開です。

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