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失われた九州王朝の横笛
「樂有五絃琴笛」『隋書』俀国伝
京都市 古賀達也
一、美濃晋平『笛の文化史』との邂逅
『隋書』俀国伝に「樂に五絃の琴・笛あり」という記事が見えます。九州王朝(倭国)の「五弦の琴」についての研究は増田修さん(当時、市民の古代研究会・会員)により早くからなされ、北部九州にその痕跡が多いことを指摘されました(注①)。しかし、笛については古田学派による研究を見ませんでした。ところが令和三年(二〇二一)十月に『笛の文化史(古代・中世) エッセイ・論考集』(注②)という大著が著者の美濃晋平さん(古田史学の会・会員、練馬区)から贈られてきました。縄文の石笛や弥生の土笛から始まる笛の歴史を中心としたエッセイと論考からなる一冊です。ちなみに、横笛奏者でもある著者は東北大学で学ばれたケミスト(医薬開発)です。
同書冒頭に紹介された、横笛の名手だったお父上や少年時代の思い出の数々が胸を打ちました。後半には「青葉の笛」に関する古代・中世の史料や伝承が紹介されており、笛に不思議な歴史があることを知りました。中でも九州王朝との関係をうかがわせる薩摩の伝承として、わたしの初期の論文「最後の九州王朝 ―鹿児島県「大宮姫伝説」の分析―」(注③)が引用されており、感慨深く読みました。
著者にお礼の電話をしたところ、同じケミストということもあり、会話が弾み、八王子セミナー(注④)の翌日、東京駅でお会いしました。対話は三時間以上に及び、古田史学や化学など話題は多岐にわたりました。そして、研究への協力と京都での再会を約束して東京駅を後にしました。
二、大隅国、台明寺「青葉の笛」伝承
美濃さんから頂いた『笛の文化史』に、九州王朝に関係すると思われる大隅国の台明寺の「青葉の笛」伝承が詳述されています。台明寺は明治の廃仏毀釈により廃寺になっていますが、その地にある日枝神社の解説が鹿児島県神社庁のサイトに掲載されており、台明寺の「青葉の笛」伝承に触れられていますので、関係部分を転載します。
【以下、転載】
神社名 日枝神社(ヒエジンジャ)
鎮座地 〒899‐4302霧島市国分台明寺1103
例祭日 十月十五日
御祭神 大山咋命(オオヤマクイノミコト) 大己貴命(オオナムチノミコト)
〔由緒〕
往古、日吉山王神社と称し、群田川の上流の谷間に鎮座して台明寺一山を守護する尊社であった。台明寺は白鳳元年の創建で、三十八代天智天皇の御勅願所の地と古史にあり、また将軍家の文書数百通が同寺に格納されていたと伝えられる。島津氏の崇敬も厚く、牧場増殖を祈願されたことが鹿児島県畜産史にみえる。
社殿は、拝殿と本殿が中心線からずれており、造営時期の違いを示している。本殿の造営は、細部の装飾等より十九世紀初頭のものといわれ、柱間約一メートルの七間二間で、形式としては珍しく貴重なものである。
境内の青葉竹は俗に台明竹ともいい、笛の用材として宮中に貢納されていた。貢納する時は府中の鏡ヶ池に浸し、葉の付いたまま姫城の妙見神社(今の稲荷神
社)にお供えしてから奉納したといわれる。天智天皇から楠の木板に笛像を刻して御下賜があったことや、源平合戦の一ノ谷で敗れた平敦盛が秘蔵していた笛もこの台明竹であったこと等が伝えられている。今でも自生しており、「青葉の竹」と呼ばれて市の文化財になっている。(昭和五十八年八月十五日指定)
【転載終わり】
鎮座地の霧島市国分は大隅国の国府があった場所で、その北東の山間部に日枝神社があります。「台明寺は白鳳元年の創建で、三十八代天智天皇の御勅願所の地と古史にあり」とあるように、九州年号「白鳳元年」創建や天智天皇勅願寺伝承と重ねて、寺域に自生する笛の材料に適した「青葉の竹」を天皇家に奉納していたと伝えています。
創建は九州王朝の時代の「白鳳元年」(六六一年)であり、「天皇」の勅願寺で、当時から笛の材料(青葉の竹)を朝貢していたことが史実であれば、それは天智天皇や近畿天皇家ではなく、九州王朝に置き換えて同伝承を捉えるべきと思われます。他に九州王朝の天子と笛に関わる伝承の存在を知りませんので、この台明寺の伝承は貴重です。
なお、九州王朝に嫁いだ薩摩の大宮姫伝承については、わたしや正木裕さんの研究(注⑤)がありますので、大隅国の台明寺伝承との関係も検討する必要がありそうです。多くの台明寺文書が遺されていますので、その全容も調査確認したいと思います。
三、「清水の笛」は九州王朝の笛か
『笛の文化史』には、「青葉の笛」の他にも九州王朝と関係しそうな笛が紹介されています。宮城県名取市高田字清水の清水遺跡井戸跡から九世紀前半のものとされる横笛が出土しており、出土地名から「清水の笛」と名付けられた笛です。現存する六指孔の笛としては日本最古とのこと。ちなみに日本最古とされる正倉院の横笛は七指孔です。その「清水の笛」を復原調査したところ、次のことが判明したそうです。
図3 正倉院象牙製横笛・高麗笛・竜笛・神楽笛・「清水の笛」・「江平の笛」比較(文献2比較)
(1)雅楽の笛は神楽笛、龍笛、高麗笛の三種類が知られており、「清水の笛」は高麗笛に最も近いが、それとは異なる笛である。
(2)音程の比較からは、「清水の笛」は雅楽の笛の祖型、あるいは雅楽の笛につながる、雅楽の笛の仲間であることを強く示唆している。
(3)音階などを規定する歌口から各指孔(中心点)までに焦点を当てた場合、「清水の笛」は高麗笛と龍笛の間に位置する。
(4)現在、雅楽に使用されている笛の中で「清水の笛」に該当する笛はない。
(5)江戸時代の雅楽書『樂家録』によれば、高麗笛と龍笛の間にある笛として東遊びに用いられる笛(哥笛ともいう)が昔使われていたが、今は使われなくなったとある。
同書に掲載されている『樂家録』「巻之十二」に見える「東遊笛之説」によれば、「體源鈔曰く」として、次の記事があります。要旨を引用します。
「昔、東遊びに用いられていた中管、またの名を哥笛という笛があった。指孔は六孔で、長管(龍笛)と短管(高麗笛)の間にあり、高麗笛より少し大きい笛であったが、現在は使われなくなった。」四二七頁
わたしはこの説明にある『體源鈔』という書名と「東遊」という言葉を見て驚きました。本居宣長の『玉勝間』に九州年号の「教到六年」と共に「東遊」のことが記されていることを「洛中洛外日記」(注⑥)で紹介し、『古田史学会報』にも論稿(注⑦)を発表していたからです。その要旨部分を転載します。
【以下、「本居宣長『玉勝間』の九州年号」から転載】
「東遊の起り
同書(『體源抄』豊原統秋:古賀注)に丙辰記ニ云ク、人王廿八代安閑天皇ノ御宇、教到六年(丙辰歳)駿河ノ國宇戸ノ濱に、天人あまくだりて、哥舞し給ひければ、周瑜が腰たをやかにして、海岸の青柳に同じく、廻雪のたもとかろくあがりて、江浦の夕ヘの風にひるがへりけるを、或ル翁いさごをほりて、中にかくれゐて、見傳へたりと申せり、今の東遊(アズマアソビ)とて、公家にも諸社の行幸には、かならずこれを用ひらる、神明ことに御納受ある故也、其翁は、すなわち道守氏とて、今の世までも侍るとやいへり」岩波文庫『玉勝間』下、村岡典嗣校訂
東遊の起源として『體源抄』の記事を引用したものだが、この中に教到六年(丙辰、五三六)という九州年号が見える。通常、九州年号史料に現れる教到は五年までで、翌年(丙辰)は改元され、僧聴元年となる。従って、『體源抄』が引用した源史料は改元直前の正に教到六年に記された同時代九州王朝系史料の可能性が高い。(中略)
このように、九州年号の「教到六年」における東遊起源説話とも言える九州王朝系史料の存在が明かとなったが、ここで注目されるのが『二中歴』年代歴に記された教到年号細注の「舞遊始」との関連である。これを九州王朝内での一般的な「舞遊」の始まりと理解するのでは、あまりにも遅すぎるため、意味不明の一文であった。ところが、『體源抄』の記事では
「東遊」の起源説話として記されており、「舞遊始」を九州王朝に「東遊」がもたらされたとする理解が可能となったのである。【転載おわり】
更に正木裕さん(古田史学の会・事務局長)は『體源鈔』の同記事が九州王朝の事績とする論稿(注⑧)を発表されました。こうした先行研究があったので、美濃さんの著書にある『體源鈔』や「東遊」を見て、「清水の笛」こそ『隋書』に見える〝失われた九州王朝の笛〟ではないかと思ったのです。わたしはこの仮説を美濃さんにメールで伝えました。横笛の奏者であり研究者でもある美濃さんの本格的な研究が待たれます。〔令和三年(二〇二一)十二月十三日、筆了〕
(注)
①増田修「古代の琴 正倉院の和琴(わごん)への飛躍」『市民の古代』十一集、市民の古代研究会編、新泉社、一九八九年。
同「『常陸国風土記』に現われた楽器」(※附)横山妙子『市民の古代』十三集、市民の古代研究会編、新泉社、一九九一年。
同「研究史・『琴歌譜』に記された楽譜の解読と和琴の祖型 ―附・『琴歌譜』研究・参考文献―」『藝能史研究』一四四号、藝能史研究会編、一九九九年。
②美濃晋平『笛の文化史(古代・中世) エッセイ・論考集』勝美印刷、二〇二一年。
次の本も頂いた。
同『青葉の笛』福井県和泉村教育委員会、一九九一年。
伊藤正春『創薬物語』新興医学出版社、二〇〇六年。
塚﨑朝子『新薬に挑んだ日本人科学者たち 世界の患者を救った創薬の物語』講談社、二〇一三年。
③古賀達也「最後の九州王朝 ―鹿児島県『大宮姫伝説』の分析―」『市民の古代』十集、市民の古代研究会編、新泉社、一九八八年。
④古田武彦記念 古代史セミナー2021 ―「倭の五王」の時代― 。公益財団法人大学セミナーハウス主催、二〇二一年十一月十三~十四日。
⑤正木 裕「大宮姫と倭姫王・薩摩比売」『倭国古伝 ―姫と英雄と神々の古代史― 』(『古代に真実を求めて』二二集)明石書店、二〇一九年。
⑥古賀達也「洛中洛外日記」九三八話(2015/04/29)〝教到六年丙辰(五三六年)の「東遊」記事〟
⑦古賀達也「本居宣長『玉勝間』の九州年号 「年代歴」細注の比較史料」『古田史学会報』六四号、二〇〇四年。
⑧正木裕「九州年号『端政』と多利思北孤の事績」『古田史学会報』九七号二〇一〇年。
同「盗まれた分国と能楽の祖 ―聖徳太子の『六十六ヶ国分国・六十六番のものまね』と多利思北孤―」『盗まれた「聖徳太子」伝承』古田史学の会編、明石書店、二〇一五年。
これは会報の公開です。史料批判は『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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