2005年4月8日

古田史学会報

67号

森嶋通夫を偲ぶ
 木村氏に答えて
古田武彦

「禁書」考
禁じられた南朝系史書
 古賀達也

「賀陸奥出金歌」について
 泥憲和

午前もおもろい関西例会
 木村賢司

2004年度
重要研究テーマを講演

事務局便り

オモダル尊は、
面垂見(宋史)である
記紀の神々の出自を探る
 西井健一郎

6連載小説『彩神』
第十一話 杉神 2
  深津栄美

「越智・河野の遺跡巡り」
と「河野氏関係交流会」
 木村賢司

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高皇産霊尊と蠅声(さばえ)なす邪神 神世7代の神々・中編 大戸之道5 記紀の出自を探るV・5 西井健一郎(会報67号)

オモダル尊は、面垂見(宋史)である 記紀の神々の出自を探る(会報67号)../kaihou67/kai06705.html


オモダル尊は、面垂見(宋史)である。

神世7代の神々 下編 面足尊と惶根尊1
記紀の出自を探るVI・1

大阪市 西井健一郎

1,神は元、偉人だった

 記紀の神々の出自を記紀の記事の中に探している。これら神々は生存中に後世 の人々の追慕に値する功績を挙げ、やがては神と称えられていった偉人である。だから、記紀のどこかに、それら神の偉業が伝承・神話として埋めこまれている可能性がある。
 勿論、その活躍の姿や場面は変えらている。神名が功績や出自とともに紹介されていたら、何百年前からの先学が紹介ずみの筈だ。また、そのような人間時の姿を探そうとする不敬な記紀の研究態度は、明治以来の記紀の神聖化・アンタッチャブル化により圧殺されてきただろう。神々は現在、その意を継いだ国学者の手によって幻影的存在に変えられ、空ぞらしく解説される。
 今回から神世七代中第六代のオモダル神を考察していく。まず、国学者による同神についての注を見ておこう。なぜ、褒め言葉だけが神になったか、不思議だ。
 なお、古事記は岩波文庫30-001-1「古事記」〔以後、文庫本(記)と略記〕、日本書紀は岩波文庫30-004-1〜4「日本書紀(一〜四)」〔以後、文庫本(紀)と略記〕に依拠する。


2、面足は「整った」顔のことか

 記はオモダル神を於母陀流神と書き、紀は面足尊としるす。この神について、「(オモダル・カシコネの)二神は人体の完備と意識の発生の神格化か」と文庫本(記)は注に書く。
 一方、文庫本(紀)は、「オモは面。ダルは足る・充足している意。従来は国の景観が整っている意に解したが、ここは言葉どおり容貌が整って美しいの意。この神名は男神が女神に語りかけた語を擬人化したものと見られる」と注し、補注には「『面立ちの整った美しい女よ』『何と畏れ多いことか』の会話が神になった」とある。しかし、記紀で「面」や「陀流」がそのような意に使われている例はない。


3、「面」と「陀流」の使われかた

 面が使用されている稀少な例の一つは、天孫降臨記の天宇受賣(うずめ)神に対する詔の中にある。猿田毘古が天のヤチマタに立ちはだかるのを知って、天照がウズメに“汝者雖有手弱女人、與伊牟迦布神面勝神(汝は手弱女人(たわやめ)にはあれども、いむかう神と面勝(おもかつ)つ神なり)”という。威嚇している神に対して気負けせずに「大きな面(つら =態度)」がとれる神だとおだてる場面に使われる。ここでは、面は顔の造作(つくり)でなく、ツッパリ少年のようにデカイ態度をとるとの意味で使われている。
 もう一つの使用例は、国生み記に“(四国や九州が)此嶋者、身一而有面四”とある。こちらは領域の意だ。
 「ダル(陀流)」は記に、 1).(国譲りの後、櫛八玉が)“神産巣日御祖命之、登陀流天之新巣之凝烟之八拳垂摩弖・・・”、 2).(大国主が)“唯僕住所者、如天神御子天津日繼所知之登陀流天之御巣而、・・・”と「登陀流」2例が載る。ふたつとも、天国の支配者が‘お登りになる(着座される)巣(=高御座たかみくら?)ウンヌン’というような敬語用助詞として用いられ、「整った」との用例はない。
 面足を顔の美しいとの解釈は後世の勝手な後付けであり、そのような理由で神世七代神に組み入れられたとは到底考えられない。
 なお、この「巣」について古田先生は、ロシア向けパンフ「伊勢神宮の成立」で、「(くじふる嶺の説明中)『高祖(たかす)』の『祖(す)』は『巣』と同じく、鳥や獣、または人間の居る(住む)ところを指す。縄文以来の基本用語の一つである」と書かれている。
 ここの出雲神話(記)では、巣は天国系の玉座を意味すると見る。この高祖山も、中国の皇帝が行う泰山封禅の儀式のように、筑紫平野を支配することになった天国系の王者が‘登だり’、即位を宣言する場所だったのでは。だからこそ、ニニギはその場所を目指したと考えると楽しい。


4、宋史外国伝日本国・王年代紀の「面垂見」

 では、オモダルとは何者か。
 彼は言葉遊びの申し子ではなく、日本の歴史に残る王者の一人であり、古古代最も偉大な王者であったイザナキとその一族の開祖だった。結論からいえば、彼は宋史外国伝に載る面垂見であり、記の頬那芸(つらなき または頬那美)でもある。
 面垂見は、宋史外国伝日本国の条にある日本国王年代紀に載る王の一人である。同王年代紀は、九八四年日本僧が献じたものという。〔文庫本(紀)の天鏡尊の補注による〕
 そこには、天御中主から始まり、彦瀲命まで二十三世の王名が順に記されている。その十二代目の王が「面垂見尊」であり、以後「国常立尊」「天鑑尊」「天萬尊」「沫名杵尊」「伊奘諾尊」「素戔烏尊」「天照大神」と続く。
 その王名を比較すると、王者を示す語尾が「クモ(雲)」→「タマ(魂)」→「チ」→「ミ(キ)」へと変遷する様子が覗える。また、頭に天のつく尊とつかない尊が数代おきに入れ替る。それらは、部族間や天神系と国神系との間に王権交代が度々起きたことを示す。
 頭に天のつかない面垂見尊は国神系である。となると、彼はオモタルミと上品に、ではなく下品にツラタルミと呼ばれていた筈なのだ。もっとも、面垂見をオモタラシのミと読むと、足もタラシと読む例(日本足彦国押人やまとたらしひこくにおしひと=孝安天皇、紀)があるから、面足もオモタラシと読め、同一人を指す可能性は高い。

 

5、「オモ」と「ツラ」

 ツラ呼称については、古田先生が御著書『古代史の未来』中の「神武弁」で、「・・・。同じく『顔と面(つら)』『おなかと腹(はら)』・・・などいずれも同一物、同一行為にそれぞれ二つの言葉がある。・・・。しかも、一方は『品』があり、他方は『下品』とされている。だが、発音自身には『品』も『下品』もない。要するに、『品』『下品』は即音感覚ではない。『歴史感覚』なのである。征服が行われた場合、征服者が上層階級、被征服者が下層階級となる。そして上層の人々の言葉が『上品』とされ、下層の人々の言葉が『下品』とされる」と書かれている。だから、国神系の面垂見はツラタルミと呼ばれていたのだ。

 

6、ツラタルミは、「後世に残す津の神」の意

 しかも、面垂見(つらたるみ)の「ツラ」は顔(面)の意ではない。原意は、ツ(津)・ラ(神)で「港の神」だったのでは。
 津神(つら)について、灰塚照明氏が九州古代の会ニューズ No.一一三の「伊勢と二見が浦」の中で、「(高良大社の祭神、玉垂命物部保連の保連(やすつら)の読みについて述べた部分に)『・・・。ヤスは名でツラは称号です』とご教示下さった。ツラが称号なら『連』=『津良』=『津の(海の)神』=『港の神』を意味しないだろうか。・・・」と書かれている。意味するならば、その神名を源流にして面垂見やツラナキの名がある。
 なぜなら「垂」には、○1(上から下へ)たれる・たらす、○2〔動詞〕たれる(たる)・後世に残す、○3〔動詞〕たれる、○4〔副詞〕なんなんとする・やがてなろうとす(日本語としての用法)、などの意味がある。(学研刊:漢字源)
 ツラタラシとは、津神として後世に残す・津神になろうとしているとの意味になり、ツラ神のような人物との呼称だろう。さらに人が神になったとの敬称のミがついてツラタラシのミ、それが短縮されてツラタルミとなったものだろう。
 ついでに、このツラ神は記の神世七代にある角杙(つのくい)神か、その祖と思われる。角杙は「津の咋(くい)」で、クイが首長称号であった時代の「津のボス」である。彼は、壱岐の神らしい活杙とセットだから、対馬(ツのシマ)に出生源を持つ神である。
 この角杙は、紀の神世七代の一書では「一書曰、男女たぐひ生る神、先づウヒヂニ尊・スヒヂニ尊ます。次に角幟*(くい)尊・活幟*(くい)尊ます。次に面足尊・惶根尊ます。次に伊奘諾尊・伊奘冉尊ます」と面足尊の前代に置かれている。それは、角杙が面足=面垂見一族の祖先であることを記す原書があったことを示す。
 また、景行紀一八年六月条に、“自高來縣、度玉杵名邑。時殺其處之土蜘蛛津頬(つつら)焉”とあり、「津のツラ」と後世ツラが称号化したようにみえる。

幟*(くい)は、巾の代わりに木。JIS第4水準ユニコード6A34


7、「ミ」は女王のしるしである

 また、面垂見は女王である。それはツラタルミと語尾にミが付いているからだ。先生は、「語尾のミは神を意味する」と考察された。私はさらに進めて、記紀のナキ一族全盛時代には、「ミは女神を示す語尾」だったと見たい。
 神生み記に、“(イザナキ・イザナミの生んだ)此速秋津日子、速秋津比賣二神、因河海持別而、生神名、沫那藝神、次沫那美神、次頬那藝神、次頬那美神、次天之水分神、・・・”とあり、この沫・頬さらには伊邪の那藝・那美のセット表示では、ミのつく方が女神とされている。
 三世紀には、卑弥呼を女王にすることで国をまとめた。それは過去に偉大な統一者として女王が君臨していた記憶による、と先生が論破されたところである。その過去の偉大な女王の時代とは、面垂見やアワナミの時代ではなかったか。天照との説もあるが、記紀に彼女が葦原中国に君臨した形跡はない。忍穂耳を行かせただけだ。
 面垂見が女性であれば、それは頬(つら)那美のことと考える(次稿で考察)。記が沫や頬の那藝の方を前置するのは、男神イザナキがカグツチを討ち男王としての支配権を確立した後の、男女間の地位が入れ替わった後世の造作である。

 

8、キは、女王の男子側近 No.1

 では、ナギのキとは何か。
 語尾にミのつく女王の側近 No.1。女王に唯一近づくことのできた男子につく敬称が語尾のキである。
 例えば、卑弥呼の館には「ただ一人の男子」が出入していたと倭人伝にはある。同様に生前のイザナミの部屋へ出入できた唯一の男子がイザナキであり、その職能は天照がニニギに随いていく思金神に「前の事を取り持ちて、政(まつりごと)せよ」といったように、首相的職能だったと思われる。ボス名+「キ」がこの職位の男子の称号である。
 現在でも、神主の次席を禰宜という。この禰の爾は身近なとの意で「宜に次ぐ(サブの)職位」が原意であろう。問題は宜の方で、このギこそがイザナキのキと同じく、神に最も近しい人を示す語と思われる。
 祇も、辞典では「国つ神」の意とされており、イザナ‘キ’が国神であることを暗示する。しかし、元は神祇として女神とそれに仕える者をセットで指す字句ではなかったか。
 となると、“是高木神者、高御産巣日神之別名。”という文は記の編者の間違いで、本来、タカ・ギの神は女神タカ・ミ・ムスヒのそばに仕え、その宣託を伝える側近男子だったことになる。逆に記述が正確とすれば、高御産巣日(=高木神)自身が天照大神に仕える男子だったのでは。となると、高御産巣日こと「高‘ミ’」の神が後世、天照御大神と敬われる神で、その首相役が「高ギ」の神だった、とも考えられる。


9、ツラタラシのミが面足尊に

 では、どうして宋史王年代紀に載る「ツラタラシのミ」と呼ばれた王、「面垂見」が面足(おもだる)になったのか。それはこのように変化していったと考えられる。
 かって実在した王「ツラタラシ」に、記紀の依拠した原書は「面垂」の漢字を当てていた。その原書は近畿王朝に伝わり、十世紀にはそれを写したものが宋朝に提出された。八世紀の記の編者は、その原書の当て字を上品に読みとり、「於母陀流」と書いた。一方、紀は「面足」と漢字を移し替えた。その後、記の表記に引きずられ、オモダルと読むようになった。さらに現代、国学者が「面足」の字面とオモダルの読みから幻視して、顔の整った神と言い出した。だったら、他の八百万の神は醜い顔をしていたのだろうか。
 彼等は、本名ツラタルミ女王を歴史の裏に隠してしまった。このツラタルミの神は、記のツラナミであることを次回、考察する。


 これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集〜第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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