◇◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十一話◇◇◇
杉神(すきかみ)(2) 深 津 栄 美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
み雪ふる越(こし)の大山行き過ぎて
いづれの日にかわが里を見む
(『万葉集』第十二巻三一五三番)
(雪降る越の国の山を、今、私は超えて行く。いつ、故郷(ふるさと)を見る事が出来るだろう・・・?)
柊(ひいらぎ)の花輪は、望郷の歌を表していた。
餞別の歌なら、「日隅(ひすみ)の宮」を発つ折、
くもり夜のたどきも知らず山超えて
住ます君をばいつとか待たむ
(同三一八六番)
(夜が明けるのも待たず、お前は山を超えて去って行く。いつ、又、合う事が出来よう・・・?)
と、父と小鳥(おとり)から贈られていたし、建御名方(たけみなかた)自身、実兄事代主(ことしろぬし)が入水した美保ケ崎を遠望して、
たたなづく青垣山の隔(へな)りなば
しばしば君を言問(ことと)はじかも
(同三一八七番)
(山並みに隔てられていなければ、ちょくちょくあなたをお訪ね出来るのに・・・)
(以上、現代語訳、筆者)
と、嘆きの心を詠んでもいた。
しかし、鳥鳴海(とりなるみ)の歌は望郷を装ひつつ、逃亡路を暗示しているようだ。山奥ではそろそろ秋風が吹き出す季節、万年雪の積る越の国の尾根道なら、まさか通りはしまいと天国(あまくに)も警戒を緩めていると鳥鳴海は言いたかったのか・・・?
「他に名案もありませぬ。」
「兄者の遺言なれば、従われても罰は当たりますまい。」
部下達にも勧められ、建御名方はとりあえず越の三方(みかた)湖畔へ向かう事にした。そこは天然の漁港を成しており、大国(おおくに)とは以前から縁が深い。
結果的に、建御名方の判断は間違っていなかった。鳥鳴海(とりなるみ)の遺言を奉じたおかげで、後を追って来た天国軍は、丹波山地内で建御名方の一行を見失ってしまったのだ。付近は鴨川の水源に当り、地形は複雑に入り組んでいた。梟(ふくろう)の鳴き声が、山中の深遠さと寂寞(じゃくまく)を募られる。
「雨になりそうだな。」
星の光を覆い始めた黒雲を見上げた天鳥船(あめのとりふね)の額を、冷たい滴(しずく)が打つ。
「引き返すか?」
天鳥船は建雷(たけみかづち)を観た。
「へたをすると迷ってしまうぞ。」
「中将軍(そいいくさのきみ)のおっしゃる通りでございます。」
「お戻りになるか、さもなければ野宿のご用意を・・・」
部下達も口を添えたが、建雷は突然、
「誰だ、そこにいるのは?」
どなるなり、反対側の樹間へ火矢を射込んだ。
周辺は火矢の煽りで瞬く間に炎上し、明らかに人と覚しい足音が急いで遠のいて行く草むらは一面に揺れ騒いだ。
「奴だ、捕えろ!」
天鳥船も号令し、時ならぬ光に眠りを破られた獣達が飛び出して来た。リスや小猿がけたたましく鳴き喚(わめ)きながら枝を伝い、幹をよじ登る。梟はうろたえて羽ばたき、蝮(まむし)の群れがすばしこく風上へ這って行く。建雷らは何とか人気のした方へ近づこうとしたが、獣達の叫喚に肝心の足音はかき消され、枝に目を打たれ、茨の藪に皮膚や衣服(きもの)を引き裂かれて血が滲み、蔓(つる)に足を取られて泥濘(でいねい)に倒れ込む者、鋭い爪や嘴(くちばし)に襲われ、突進して来る猪にはね飛ばされ、鹿の角に放り投げられ、狐や狼の牙にかかり、熊の平手打ちを浴びて蝮の群れの唯中に転落する者が相次いだ。
加えて、さっきから雨滴が鈍い轟音を伴い、徐々に勢いを増して来る。梢を何度も青白い閃光が縫い通し、
「建雷、早く官道へーー」
天鳥船が急き立てた時、一同の眼前に真白な火柱が湧き起こり、建雷は馬上から奔流(ほんりゅう)へ振り落とされた。
両手を振り回して何か叫んでいる天鳥船らの姿が、見る見る遠去って行く。建雷は岸辺の岩や藪をつかまえようとしたが、水の力は卑小な人間の抵抗を嘲(あざけ)るかのように彼を下(しも)へ下へと押し流し、頭上には絶えず篠(しの)つく雨が降り注いだ。それでも、建雷は必死にもがき続けた。天国の前将軍(さきのいくさのきみ)ともあろう者が、こんな所で果てて堪(たま)るか。建御名方を捕えて首を上げるまでは、死んでも死に切れない。偉大なる宇宙神(あめのみなかぬし)よ、輝ける天照大神(あまてるおおかみ)よ、何卒(とぞ)御加護を──
だが、鴨の奔流は建雷を波間に揺すり上げたかと思うと淵瀬(ふちせ)に突き落とし、渦に巻き込み、変幻自在に弄(もてあそ)ぶ。やっとの事で巌上にそそり立つ松の根方にすがりついた時、どこからか楽の音(ね)が聞こえて来た。
・・・竹玉(たかだま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ
斎戸(いはひべ)に木綿(ふゆ)取り垂(し)でて斎(いは)ひつつ・・・
(『万葉集』第九巻一七九〇番より)
建雷が幹に寄りかかりながら覗(のぞ)いてみると、森の空き地に大岩を幾つも積み重ねて標縄(しめなわ)を巡らせた祭壇が築かれ、雨夜にも関わらず盛大な火が焚かれ、一人の巫女が舞っていた。他の人々は伶人(れいじん 楽士)も含めて黒衣に身を包み、地面に座り込んで祭壇を遠巻きに眺めている。巫女が向きを変える度に、やや翳(かげ)りを帯びた紅い花冠に飾られた黒髪がなびき、衣服を縁取る朱の錦、若く美しい顔立ちが火の反映に浮かび出た。青白い閃光が梢に弾けると、巫女は祭壇上で身を反(そ)らせ、白く長い紐で結んだ冠と同じ紅い花束を高々と掲げ、人々の間からも歓声が湧く。
ここは雷神信仰の地なのか、と気づくと、建雷は自分が恥ずかしくなった。あんな若い娘までが嬉々として雷雨を迎えているのに、天国の前将軍は稲妻に目が眩んで川へ転げ落ちてしまったとは・・・
天を司る神々よ
いざ、我らに御恵みを──
巫女は岩穴の奥に据えられていた燦(きら)めく珠玉(たま)を取り出して来て、恭々(うやうや)しく宙に差上げた。天国の紋章のように鋭い光が左右から交差し、軽い爆発音が轟く。
「姫──!」
人々は腰を浮かせたが、建雷は肩に焼けつくような痛みを感じ、その場に膝を突いた。
「玉依(たまより)、大丈夫か?」
長(おさ)らしい影か祭壇に馳せ寄ると、昏倒した筈(はず)の巫女がすぐ元気に飛び起きて、
「神の御子じゃ。天つ御(み)使いの降臨じゃ!」
建雷の潜んだ木陰を指さし、自ら駆けつけて、蹲(うずくま)っていた濡れネズミの男を匂やかな腕に抱え上げた。 (続く)
〔後記〕前号でジンギスカンの墓発見の事を書きましたが、匈奴と呼ばれた彼らによる「元寇」のおかげで、古代中国及び古代朝鮮は滅ぼされてしまったと見るべきです。首都を落とされた上、風俗習慣一切、言葉さえも元への服従を強いられたと云いますから。現代の中国でも、北京語と、香港周辺の福建語(フーチェン)はまるで違う由。前者は元の言葉の影響(のみならず、敵を侮辱するやり方も)を残し、後者は呉音の子孫として良いかもしれません。古代中国を知るには、今後は福建語の勉強が必要でしょうか・・・?(深津)
これは会報の公開です。
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから
古田史学会報67号へ
古田史学会報一覧へ
ホームページへ
Created & Maintaince by" Yukio Yokota"