◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十一話◇◇◇
杉神(すきかみ)(5) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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「若ーー!」
黒主(くろぬし)らは手を伸ばしたが、建御名方(たけみなかた)は見る見る押しやられて行った。自身、近くの筏につかまろうとしたのだが、矢継ぎ早に流れ来る丸太は左右から飛沫を弾き、建御名方は息さえつけなかった。目的地を前に、自分は死ななければならないのか? 八千矛の息子とあろう者が木曽の大河に飲まれて、国の再興も、許嫁(いいなづけ)を呼び寄せる事も出来ずに──
(岩、長・・・・・)
レンゲやスミレの赤紫、桃色がかった朱が華やかさを綴る野辺に若草色の衣装、吹きつける爽やかな芳香──
『建様、建御名方様!』
明るく澄み切った呼び声が蘇って来る。桜色に上気した愛くるしい笑顔、黒く輝く星のような瞳、巫女(かんなぎ)の印の青と白の元結(もつとい)で結んだ黒髪をなびかせ、紗の領巾(ひれ)を翻し、走り寄って来る美しい姿に、建御名方は両手を差し伸べた。
(岩長、来てくれたのか? 長い間、苦労をかけてすまなかった。もう離さない。今度こそ、我々は永遠に一緒にいられるのだ──)
「気がつかれましたか・・・・・?」
誰かの影が動いた。
岩長ではなかった。考えてみれば、こんな所に許嫁(いいなづけ)が来る訳はない。
(夢、か・・・・・)
苦笑を洩らす建御名方の額に、ひんやりした小裂(こぎれ)が載せられた。
熱に潤んだ目で見上げると、粗末な灰色の単衣(ひとえ)を粗縄(あらなわ)で結んだだけの若い女が水瓶を手に立って行くところで、前後から黒主らが不安そうに覗いていた。
「若、しっかりして下され。」
「身共がお判りか・・・・・?」
切迫した声で問われて建御名方は頷き、
「俺は、一体、どこに・・・・・?」
辺りを見回すと、
「若が川へ落ちた時、偶然、岸辺で洗濯をしていた女子衆(おなごしゅ)が、助けて下されたのですよ。」
黒主が灰色の影を指さした。
「あの女性(にょしょう)が・・・・・?」
建御名方の呟きが聞こえたのか、
「岡谷の樵(きこり)の長(おさ)の子にて、八坂と申します。」
娘がにっこりと振り返った。
長にしては身なりは無論、八方から大枝を被せた隙間を土で塗り込め、床の中央を石で囲んで囲炉裏を切り、正面にやはり石を組んで祭壇らしき物を築いただけの家の造作(つくり)といい、あちこちに置かれた水瓶や壷といい、縄を押し付けて単純な円や角形や線、奇妙な人面を刻んで、大国や天国では一時代前と見なされる代物ばかりだ。他国との交流の盛んな海岸地方とは異なり、この辺にはまだ伝統文化が息づいているらしい。娘の家族が見当たらないのは、伐採か狩猟に出かけているのだろうか・・・・・? 気候の厳しい山奥では、長が率先して仕事に精を出さねば民はついて来るまい。
「失礼します。父が戻って来たようですわ。」
建御名方の視線に心の揺らぎを感じ取ったのか、八坂は急にそわそわと立ち上がった。
だが、黒主らは思わず武器を引き寄せていた。枝葉越にチラついているのは、青銅の甲冑姿だったからだ。
(あの小娘、敵に内通していたのか・・・・・?)
建御名方らは、緊張して目を凝らした。
八坂も、外へ出るなり物々しいいでたちの一団にぶつかり、呆気に取られたらしい。蓑(みの)を着た背に薪(まき)の束を負い、一足遅れて入って来た男に駆け寄って石斧を受け取ったのは、彼(それ)が父親なのだろうか・・・・・?
すらりとした背格好の天国(あまくに)の軍艦長(ふなづかさ)、ずんぐりした体格に髭を生やし、精悍な容貌の建雷(たけみかづち)が、父娘(おやこ)に向かって精巧な青銅の短剣をひけらかしている。距離がある為、話の内容は判らないが、大国(おおくに)の皇子(みこ)の行方を教えてくれたらこれをやるぞ、とでも誘惑しているのだろう。
頭を振る娘の肩越しに、樵の目がふと、光った。壁の枝葉を透かして、屋内の様子に気づいたらしい。
黒主が太刀を抜きかけ、薄暗い中に青白い火花が一瞬、散った。建御名方が、慌てて黒主の手を抑える。
彼らの剣幕に怯気(おじけ)づいたのか、樵はすぐに目を逸(そら)せ、天国軍も埒が明かないと思ったようで、
「見つけたら、知らせるんだぞ。」
天鳥船(あまのとりふね)が引き上げの合図をしながら、
「礼はたんまりするぞ。」
と、短剣で軽く八坂の顎を突々いた。
八坂は肩を聳(そび)やかし、好色な視線をはね返す。
後を見送っていた樵が何を思ったか、入口脇に薪の束を下ろすと娘に短く断り、元来た方へ駆け出した。
八坂は素早く屋内へ入り、
「お逃げ下さい──」
と、急(せ)き立てた。
「今の人達は、皆さんを追って来たのです。斥候を使って辺りを虱潰(しらみつぶ)しに調べるようですから、ここにいらしたのでは、じきに発見されてしまいます。」
「だが、そなた、奴らに俺の正体を教えられたのだろう・・・・・?」
建御名方はわざと悠然と構えて、
「俺の首を差出せば、この辺りは全部、そなたたちの持ち山になる筈(はず)だぞ。」
冷やかすように八坂を見た。
八坂の頬が紅潮する。
「しがない樵の子でも、私は行き倒れの病人を敵に売るような真似は致しません。諏訪の森と湖水を司るミシャクゲの神に恥じるような振舞は、決してしない所存でございます。」
いざとなれば建御名方を背負(しよ)って安全地帯へ駆け出しかねない八坂の表情に、黒主らもようやく面(おも)を和らげた。
「疑ってすまなかった。故国(くに)を出て以来、追われ通しだったので、遂、他人(ひと)に白い目を向ける癖がついてしまってな。」
黒主に支えられて立ち上がり、建御名方が詫びると、
「川を辿っては危険でございます。樵仲間だけが使用する脇道がございますから、そちらを抜けて諏訪湖畔へいらっしゃいませ。」
八坂は、道中必要な糧(かて)や薬草の包みを渡すついでに入口から山河を指し、谷は東へ向かっている事、川筋へ戻るには角の大岩を目印にする事、向かいの尖り山はよく霧を吹くので、晴天でも充分注意するように、などと詳しく教えてくれた。
「あの娘の父親が、奴らと入れ違いにどこぞへ出かけて行きましたな・・・・・?」
示された道へ踏み込んで間もなく、従者の一人が来し方を振り向いた。父娘共謀で、親切ごかしに自分達を敵の懐へ送り込む腹なのでは・・・・・?と、新たな疑念が湧いたのだろう。
「行ける所まで行ってみるしかあるまい。」
建御名方は押し被せるように言い、杖代りの枝を引き引き先頭に立った。
(続く)
〔後記〕「玉垂の宮」は、「たまたれ」と訓読みにするよりもむしろ、「ぎょくすい」と音読みにしてはいけないでしょうか。音読みだと、中国の天子に垂直に繋がるという意味にもなりますし、「曲水の宴」とも言語の上でも関わって来るので。
(深津)
これは会報の公開です。
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