2005年2月9日

古田史学会報

66号

1、若草伽藍跡と
宮山古墳・千早・赤坂村
 伊東義彰

2、津軽平野と
東日流外三郡誌の旅
宮城県北の遺跡巡り
 勝本信雄

3、菅政友と『琉球漫録』
 仲村致彦

4、高皇産霊尊
と蠅声なす邪神
 記紀の神々の出自を探る
 西井健一郎

5、太田覚眠と
 “からゆきさん”
「覚眠思想」の原点
 松本郁子

6、 久留米藩
宝暦一揆の庄屋たち
 古賀達也

7、故・ロンドン大学
 名誉教授
 木村賢司

8、連載小説『彩神』
 杉神(すきかみ)
  深津栄美

9、和田家文書裁判
での原文改訂
歪曲引用された
仙台高裁判決文
 古賀達也

10、年頭の挨拶
「本」という字
 水野孝夫
事務局便り

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連載小説『 彩神』 第十一話 杉神 1     


◇◇ 連載小説 『 彩  神カリスマ』 第十一話◇◇◇

杉神(すきかみ) 深 津 栄 美

 −−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

〔概略〕冬の「北の大門」(現ウラジオストク)攻めを敢行した三ツ児の島(現隠岐島)の王八束(やつか)の息子昼彦は、異母兄淡島に海へ捨てられるが、天国(あまくに 現壱岐・対馬)に漂着、その子孫は韓(から)へ領土を広げ、彼の地の支配者の一人阿達羅(あとら)は天竺(現インド)の王女を娶るまでになる。対岸に栄える出雲の王八千矛の息子建御名方(たけみなかた)は、白日別(しらひわけ 現北九州)の王女岩長と恋仲だったが、舟遊びの最中、敵に急襲され、彼自身はかろうじて落ちのびたものの、岩長とその妹木の花は強引に敵将の妻にされた上、貞操(みさお)を疑われた木の花は、生まれ落ちた子供諸共池へ投身してしまう。
 ・  ・  ・  ・
 枝が鳴る。木の葉が騒ぐ。雨混りの風が吹きつける中、大蛇の背のように草むらはうねり伏し、岩々は蹄に打たれて火花を散らす。
 闇を抜け、騎馬の一団は礫(つぶて)のように疾駆していた。先頭の栗駒は峰風、背の建御名方は懸命に手綱を操り、ムチを振るい、飛び来る火矢をなぎ払う。木の国(現福岡県基山付近)を出た後も、建雷(たけいかづち)と天鳥船(あまのとりふね)は執拗に建御名方を追跡しているのだった。
笠沙の岬で舟遊びの最中を急襲され、切り結んだものの多勢に無勢、かろうじて橿日宮(現福岡県香椎宮)へ逃れ、男装の許嫁(いいなずけ)らに守られて釣川の岸へ辿り着いたが発見され、岩長や木の花がどうなったかも確かめられぬまま、舟で周防(現山口県)の油谷(ゆや)へ脱出した。ここは父が軟禁された「天の日隅(ひすみ)の宮」(現山口県日置へきから三隅みすみ付近?)とは目と鼻の先である。
包帯だらけの上、女装して舞い戻って来た息子に父も呆れたろうが、肩も背も布切れのような薄さに感じられる程やつれ果て、目尻、口の端の皺(しわ)が深まり、みずらに結った頭髪が一面、雪と化した父の姿は、こちらの胸を抉(えぐ)るに充分だった。これが越(現福井〜新潟)と天国に君臨し、吉備(岡山)や東[魚是]国(銅鐸圏)は無論、海の彼方の農波(のなみ 現ウラジオストク)、佐伎(北朝鮮)まで恐れさせた大国の君主(あるじ)か・・・・・・自分や事代主(ことしろぬし)を率いて因幡(現鳥取県東部)の大砂丘を馳せ、三朝(みささ)一族の船団を天神の大河の藻屑とした英雄の面影は、どこへ行ったのだ・・・・・・?
 「建御名方、苦労をかけたな。」
 東郷池畔の森に住む巫女(みこ)だったという小鳥(おとり)に支えられ、我が子を抱擁して迎えた体躯(たいく)はまだ力強く、暖かい声音(こわね)や眼差、微笑は昔ながらの父のものだったが・・・・・・
 「日隅の宮」らは当然、天国の監視の目が光っていたが、小鳥の尽力で建御名方は傷が医えるまで下僕に姿を変えて滞在する事が出来た。兄弟の実母神屋楯(かみやたて)も正妃の須世理(すせり)同様、とっくに世を去っており、八上(やがみ)も大屋彦と再婚した現在(いま)、父の傍に侍(はべ)る妃は小鳥のみだったが、それがむしろ張りを与えたのか、彼女は部下達に命じて情報収集や滋養のある食物の入手など、継息子を元気づける為、精一杯努めてくれた。
「鳥鳴海(とりなるみ)の兄上は御無事なのでしょうか・・・・・・?」
 建御名方が気遣うと、
 「あなたの奮戦で、三朝一族の領地は全てあの子の所有(もの)になったのですもの。東郷の御先祖(みおや)が一日で田を植える為、日を呼び戻したように、天神上流の三国山に潜んで巻き返しの機会(おり)を伺(うかが)っていますわ。天罰を蒙って田畑が池になっても結構、敵を誘い込み、溺死させられますものね。」
 小鳥は微笑した。
 いつも名前の通り、小鳥のように陽気で歌舞音曲にしか興味を持たなかった筈の継母が、巻き返しという言葉を口にするとは・・・逆境はどんな女も強者(つわもの)に仕立てるのかと、建御名方は笠沙の岬で自分の背後を突いた敵を一刀両断した許嫁を思い浮かべた。岩長や木の花はうまく逃げのびられただろうか・・・?白日別(北九州)の人々は、こぞって大屋彦とその一族を敬慕していたから、天国の横暴への憤りは自分達に劣らず深いに相違ない。姉妹も、宗像(むなかた)の森なり筥崎(はこざき)の離宮なりに匿われていてほしい。
(待っていておくれ、岩長。きっと持ち直して、おぬしを迎えに行ってみせる。)
 建御名方は体力が回復すると、さっそく異母兄鳥鳴海を訪ねて行った。
 だが、敵もさるもの、建御名方が「日隅の宮」へ潜入したのに気づいて、必ず一族を頼るだろうと踏み、千代(せんだい)流域に斥候部隊を待機させておいたのである。
 「若君、来てはなりませぬー!」
 不意の叫び声に峰風の手綱を絞った時、建御名方目がけて一勢に火矢が降って来た。「日隅の宮」から従って来た部下が、たちまち数人倒れる。
 建御名方が矢を撃ち返そうとすると、
 「お待ちをー」
 横合いから、地と泥にまみれた手が制した。
 「鳥鳴海様からのお言伝(ことづて)にございます。
これを持って、早うお逃げ下され・・・!」
 男は柊(ひいらぎ)の花輪を建御名方に押し付け、その場に崩(くず)折れた。柊は、小鳥の実家麻豆美(さとまづみ)の紋章である。
「建御名方ア、死ぬのは俺一人で沢山だア。行ってくれエ!」
 鳥鳴海自身の呼び声が、剣戟(けんげき)の響きを圧する。
 「すまない、兄者ー!」
 建御名方は涙を堪(こら)え、千代(せんだい)渓谷を東へ走って行った。血縁で、第一の家臣でもあるとの自分達の油断につけ込み、故国(くに)を滅ぼし、兄二人を殺し、父と許嫁から引き離した天国の奴らーーーいつか必ず帰って来て復讐してやる・・・! (続く)

〔後記〕ようやく涼しくなったら、西安で遣唐留学生の墓誌発見。中国風一字名は倭の五王の特徴でしたが、この留学生も国号は日本ながら「姓は井、字は真成」。ひょっとして九州王朝傘下出身・・・・・・?
 更に、ジンギスカンのお墓も見つかったとの事ですが、彼自身の根源は「蒼き狼」、妻は「淡紅(うすべに)の鹿」との伝承。現奈良県春日大社の聖獣も鹿であり、故大林太良によれば、オーストラリア方面では鹿は虹の神のお使いと考えられていた由。人を罵る時、「バカ」と言いますが、漢字では馬と鹿の字が当てられるのは、動物を神と崇める原始宗教(トーテム)、殊に鹿信仰が広範囲だった名残でしょうか・・・・・・?
              (深津)


 これは会報の公開です。

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