連載小説『 彩神』 第十一話 杉神 1 2 3 4 5 6
シャクナゲの里1 2 3 4
◇ 連載小説 『 彩 神 (カリスマ) 』 第十一話◇◇◇
杉神すきかみ(6) 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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「どうにか無事に来られましたな。」
小じんまりした空き地で火を囲みながら、黒主(くろぬし)が額を拭(ぬぐ)うと、
「しかし、又、雷雨(らい)になりそうだぞ。」
従者の一人が、山の彼方の青白い燦めきに眉を寄せた。昼間ならその部分に雲がかかり、雨の注ぐ光景を遠望出来るが、夜は視界が利かない為、音や匂いに頼る他はない。
「ツツジが咲いているぞ。」
建御名方は火の反映で、岩角に根を張っている仄白い花群を認めた。平地では春の最中に開くツヅジも、山奥ではススキや媛女苑(ひめじょおん)、竜胆(りんどう)などと共に初秋の風にそよぐ花なのか・・・・・・?
をみなへしさき野に生ふる白つつじ
知らぬこともち言はえし吾背
(岩波文庫版『万葉集』第十巻一九〇五番)
(白いツツジの花が女郎花(おみなえし)より先に野に咲くように、私の知らない所で他の人に愛を囁(ささや)いたりしてはいらっしゃらないでしょうね、愛しいお方・・・?)
岩長と詠んだ恋歌(こいうた)が蘇る。だが、ツツジというと、さっき出会ったばかりの八坂の面影が浮かんで来るのはなぜなのか? まさか、自分は二度と白日別(しらひわけ 北九州)へ帰れないと無意識に考えている
のでは・・・・・・?
(何をバカな──)
建御名方は、魔除けと信じられている茴香(ういきょう)の葉をちぎり、
山越えて遠津の浜の石(いは)つつじ
わが来るまでに含(ふふ)みてあり待て
(同第七巻一一八八番)
(山を越えた遠い浜辺の岩ツツジの花よ、私が行くまで咲かずに待っていておくれ。)
と、歌を表す形に、自分の腕に巻きつけた。みうすると邪念を払う事が出来る、と言われている。
「普段より臭いが強(きつ)いな。」
建御名方が花に顔を寄せた時、不安を裏書きするように、石河原の上で手押し車を転がすような鈍い轟きが起こった。稲妻が樹間に射し、青光りする武士(もののふ)達の姿を浮き上がらせる。
「天国(あまくに)の軍勢だ!」
叫んだ途端、
「見つけたぞ、建御名方!」
一本の鏑矢(かぶらや)が飛んで来た。
建御名方は、太刀の柄に当てて弾き返す。
「若、御加勢!」
黒主らも一斉に剣を抜き、たちまち森の空き地には白刃が躍り始めた。土埃が渦巻き、草が舞う。枝が鳴り、葉がざわめき、露が飛び散り、切っ先が柔らかな肉を抉り、血煙が一瞬、臙脂(えんじ)の靄(もや)と化す。ツツジも夜菫も建御名方と建雷の両足に踏みにじられ、滴り落ちる鮮血で一面、朱(あけ)に染まった。寝込みを襲われた鳥獣が飛び出して来る。
が、建雷は丹波山地での経験がある為、深追いはしない。少しでも敵と離れると近くの木陰や樹上に潜み、向こうが撃って出るのを待つ戦法を取った。
それと察した建御名方は敵の弓矢を奪い取り、かろうじて燃え残っていた焚火を点じると、枝々に射かけ始めた。建雷は火矢をよけ、猿(ましら)のように木から木へ飛び移る。しかし、建御名方も正確に敵の足元や背後を狙って来る。建雷は小柄(こずか)の刃に稲妻を反射させ、敵の目を眩ませておいて太刀を引き抜き、建御名方に躍りかかろうとした。
途端に、足場が大きく揺らぐ。枝の左右には、いつの間にか太い縄がかけられていたのだ。黒主や樵達に綱引を指図している若い女の姿が、建御名方の目に映る。
「八坂殿ーー!」
息を飲んだ時、建雷との間の杉の木に真白な火柱が立った。
「この勝負は引き分けだな。」
建雷は、天鳥船と苦笑を交わした。
曇天の下、諏訪湖は一面に煙っていたが、神殿(やしろ)の方からは、
奥山の賢木(さかき)の枝に白香(しらか)つけ
木綿(ゆふ)とり付けて斎瓶(いはひや)を斎(いは)ひほりすゑ・・・
(同第三巻三七九番より)
と、祝詞(のりと)が聞こえて来る。
建御名方と八坂の婚姻、及び天国軍との争いがようやく平定したのを祝しているのだ。八坂の機転で危機を脱した建御名方は、諏訪の人々まで戦火に巻き込んではならないと遂に帰国を断念、八坂を正妃に迎えてこの地に落ち着く決意を固めたのである。建雷らにしても、ここへ来るまでには不慮の事故その他で多くの部下を失い、食料も尽きかけていたから、建御名方の申し出は好都合だった。新政権樹立が認められさえすれば無理に首を上げる必要もなし、八坂なる新世界の美女の眼差の虜となったからは将来、建御名方が自分達を脅かす事もあるまい。
祝詞が急にワッセ、ワッセと勇壮な囃子に変わった。長の娘の婚礼の為か、老若を問わず赤い褌一丁の男ばかりが巨大な丸太に縄をかけ、湖へ引いて来る。丸太は一本だけでなく、東の岸からも、北の入江からも、西の汀(みぎわ)からも、南の砂州からも押し出され、派手な飛沫の中へ突入して行く。山から切り出した建御名方と八坂の新居の柱を、まず湖へ投げ込んで浄めるのだそうだ。
続いて、何艘かの小舟が、笛や太鼓や銅鑼を賑やかに鳴り響かせて漕ぎ出す。白衣の巫女達が楽の音(ね)に合わせ、白百合の花束に似た幣(ぬき)を振り立て、踊り狂っている。
建雷の心にも、葵の花をまき散らしつつ軽快な足拍子を踏んでいた玉依(たまより)の姿が浮かんで来た。今、胸に下げている、月の滴(しずく)に青葉の輝きを秘めたような珠玉の化身・・・・玉依は一夜にして自分の子を妊(みごも)ったと言っていたが、もう生まれているだろうか・・・? 娘なら母に生き写しの清楚可憐な乙女だろう。息子なら父に似て、些(いささか)か向こう見ずな小さな戦士だろうか・・・? 早く賀茂へ戻って、母子をこの胸に抱き締めてやりたい。そして、建御名方と八坂が舳(へさき)から水神(みしゃくげ)に御酒(みき)を捧げているように、自分達は岩棚に並んで雷神に杯(さかづき)を献じるのだ。
物思(も)はず路行くゆくも 青山をふりさけ見れば つつじ花香少女(にほをとめ) 桃花盛少女(さかえをとめ)・・・(略)
(何気なく道を歩いていても、山の方を眺めればツツジの花が咲き匂い、又、丁度花盛りの桜のようなあなたが私のものに、そして私もあなたのものになる日が思われる。切り落とした髪と同じ位長かったここまでの年月(としつき)を、あなたはどう思っているだろう・・・・・・? 橘の枝の下を流れて行く川のように、私はこんなにも長くあなたを待ち望んでいたのですよ。)
(同第十三巻三三〇九番 以上、現代語訳、筆者)
白衣の裾を引き、茴香(ういきょう)の葉に黄や白のツツジの花冠が黒髪をまとめ、今日は湖水の精のように見える八坂の肩に手を回し、建御名方は朗々と歌う。婚礼の際、祝詞の他に自作の寿歌(ほぎうた)を唱えるのは、須佐之男も行った大国(おおくに)の習わしだ。早くから大陸と接した西方に比べれば辺境に当る飛騨山中にも、かくして先進文化が植え付けられ、やがて根を張り、新たな実を結んで行くのだろう。
「八坂は建御名方に嫁いだか・・・・・・。」
妬まし気な天鳥船の呟きに、
「羨ましかったら、おぬしも東国を回って麗(くわ)し女(め)を探すんだな。」
建雷はけしかけるように笑った。
楽の音(ね)は、いよいよ湖面の賑わいをかき立てて来る・・・・。 (完)
〔後記〕やっと、「国譲り」が終了致しました。会報第七十三号に木村賢司氏が書いておられた十字架について、私も古代エジプトが源と疑っておりますが、エラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』(創元推理文庫)にその辺が出ていたと記憶しております。イエス様が結婚していたという「トーマス福音書」は、植物に関する西洋の民間伝承に受け継がれたようで(レ・ディーズの「花の精の伝説」〈八坂書房〉)、「チャタレイ夫人の恋人」の作者ロレンスもそれを知っていたのでしょうか? 題名は忘れましたが、イエス様が某女性と一夜を共にするという短編を書いております。 (深津)
これは会報の公開です。
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