巻頭対談 虹の架け橋 ロンドンと京都の対話 森嶋通夫・古田武彦(『新・古代学』第4集)を掲載
森嶋通夫氏に捧げる 古田武彦(古田史学会報63号)へ
森嶋通夫を偲ぶー木村氏に答えてー 古田武彦(古田史学会報67号)へ
故・ロンドン大学名誉教授
豊中市 木村賢司
私は学校の校長室、会社の社長室に入った記憶がない。学校の職員室、会社の役員室は敬遠場所であった。偉い人敬遠症の私が、文化勲章受賞者で常にノーベル経済学賞の有力候補者(阪大本間教授談)であった、故・森嶋通夫ロンドン大学名誉教授と同室したことがある。森嶋通夫・古田武彦対談のビデオ録画撮りの役目として、九八年十一月十二日、奈良にある国際高等研究所応接室に於いてである。
私にとって貴重な体験であった。そこで、当時遊びで作成していた自分誌「道楽三昧」に「ロンドン大学名誉教授」というタイトルで体験を書いた。(その後、古田史学会報三十号に転載された)
なお、対談記録は『新・古代学第四集』に「巻頭対談 虹の架け橋(ロンドンと京都の対話) 森嶋通夫/古田武彦」として載った。
森嶋先生は七月十三日、ロンドンで亡くなられた。八十歳であったとのこと。新聞各社はかなり大きく報道した。私が購読している二紙のうち、日本経済新聞では、阪大の本間正明教授が、大阪日日新聞では慶応の金子勝教授が、共に多くの字数で悼む文を載せている。本間教授は『新古典派発展に貢献。米国流の研究批判。日本見続けた反骨精神』の見出しで、文の最後に『戦士森嶋は「意地」と「反骨」の人であった』と結んでいる。金子教授は『思想を語る経済学者の死。知的流行疑う異端』の見出しで、文の最後は『たとえ「異端」になろうと、今ある経済学の「常識」から疑う必要がある。森嶋はそう教えていると私は思う』と結んでいる。
読んでいて、古田先生と共通項のようなものを感じた。「思想を語る。不易を求める。常識を疑う。学界で異端。反骨。強烈な個性」等である。
古田先生は早速「古田史学会報六十三号(八月八日発行)」に弔辞「森嶋通夫氏に捧げる」を載せた。「我、知己を失えり」の叫びである。「知己」を辞書でひいた。「自分の心をよく知ってくれる人」とあった。森嶋・古田対談に立ち会った者として、古田先生は数少ない年長の知己を失われたと実感した。
私の森嶋先生印象は、一言で言えば「痛快な人」である。わずか五時間余の対談の傍聴人であったが・・・。対談中に多くの古今東西の著名な人について語られたが、二人、時には三人を対比して語られるので、聞いていてこぎみがよく、内容がよくわかった。私の問いにも、丁寧に深く答えて頂いた。偉い人敬遠症の私ですが、今では森嶋通夫ファンである。もちろん、一期一会でその後もお会いできた訳でもないが・・・。でも、私(古田史学の会・書籍部)は、対談録画テープを保持している。これは今では貴重な宝であると思っている。
「古田武彦とマードック」「マードックと夏目漱石」「リカードとジェムス・ミルおよびスチアート・ミル」「マルクスとエンゲルス」「吉田満と吉川英治」「グラバーと伊藤博文」「天皇(昭和)と神参謀および石川興二」「湯川秀樹と湯川夫人および日本大使館」「サッチャーとブレア」「稲員と熊沢天皇」「中曽根と小渕」「米内と山本」「周恩来と毛沢東」「ダーレンドルフとコール」「エズミー・ヨーコ・モリシマとマシュ・リーブ・ミチオ・モリシマ」そして「高田保馬と森嶋通夫」さらに、人と人との対比ではないが、「大和古王朝と武烈」「大和新王朝と継体」「ライオンと日本の母親」「文部省補助金と教育の荒廃」「日本経済と日本の政治家資質」「武器と暗号」「源田空将と戦艦大和と広島原爆投下」「数字と思想・倫理」等が語られた。今、対談内容を吟味すると、いずれも歴史の大きな出来事に繋がっている重大な発言ばかりであったか、と思える。
対談の最後に古田先生が古田に対する、ご注意、お叱りを、と聞いた。それに対し森嶋先生は率直に応えられた。私の見るところでは、古田先生はその後、その言を素直に受け入れられていると感じられない。ここが、同類項の多い両先生間の、個性の違いだなー、と私は思っている。(間違っているかもしれないが、森嶋先生は非常によく似た本は書くな、書くなら全く違った事を書けと言われた。古田先生は講演会等で同じ事を何度も言われる。聞いている方はまたかと思う。私自身は大切な事を何度も言われて良いと思う。でも程度が過ぎると嫌になる。)
「森嶋通夫と古田武彦」両雄の一方は逝かれた。森嶋先生のご冥福をお祈りすると同時に、古田先生のご長寿を心からお祈りする。
* 私の会った「知の巨人」、一期一会も今 はなつかし、ご冥福を祈る
これは会報の公開です。
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