「天皇」「皇子」称号について 西村秀己(会報162号)
「法皇」称号は九州王朝(倭国)のナンバーワン称号か? 西村秀己
(会報163号)
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九州王朝の「法皇」と「天皇」 日野智貴 (会報163号)
「法皇」称号は
九州王朝(倭国)のナンバーワン称号か?
高松市 西村秀己
「天皇」』で日野智貴氏(以下敬称略)は、「法皇」が九州王朝(倭国)の「ナンバーワン」の称号であり、「天皇」は倭国内の「ナンバーツー」の称号である、と結論づけた。
その理由として、日野は
① 「菩薩戒」を受けた天子が「法皇」を名乗った例が他に無い、故にこれは九州王朝独自の思想乃至制度と見ることができる。
② 「法皇」は「法王」よりも上位であるので、「法皇」の名乗りは「菩薩の中でも上位に立つ存在」としての自負が込められている。
③ 「法皇」と「天皇」は両立しない。何故なら仏教において「天部(神々)」はより数ランク下の存在であり「法皇」を自負した九州王朝の「菩薩天子」がわざわざ下位の「天皇」を名乗ることはない。
④ また、わざわざ仏典に「帰依するな」と明記してある「天」の称号を「仏法に帰依した権力者」が用いることは、考えられない。
⑤ 「中宮天皇」「大王天皇」「太后天皇」のように「非、天子」の称号と共用されている「天皇」は「法皇」とは格が違う。また、女帝であれば「中宮天皇」と呼ぶに相応しい(服部静尚氏)という論に対しては、日本には女帝が後宮に籠る文化は無かった、とする。
⑥ 筆者によるナンバーワンとナンバーツーの子供が同じ「皇子」を名乗るとは有り得ない、の主張に対して、後世の「蔭位の制」では正一位の子供も従一位の子供も「同格」の「従五位下」であるので「法皇」と「天皇」の差がその程度と考えれば問題ない。
とする。
さて、日野は論文の中では「法皇」の定義は①の「菩薩戒」を受けた天子、とするが、やや曖昧な定義だ。後世における「法皇」は、出家した太上天皇、である。つまり太上天皇である以上後継者を定めた上で出家するので、(実際にはどうであれ)「菩薩戒」に定める「不婬」すなわち生殖行為を必要としない。ところが、ナンバーワンには実子である後継者が(建前上)必然だ。ところが「法皇」をナンバーワンの称号とする限り、その人物は既に後継者を定めた上で「出家」し「法皇」となる必要がある。つまり後継者を造る能力の無い幼児や幼女には即位する資格が無いことになる。勿論後継者は実子とは限らない。中国の五代のように実子ではなく仮子で王朝を繋いだ時代もあるが、これは結局戦乱の時代となった。また、結果として実子が継がない例は数多あるが、「法皇」をナンバーワンとする限りそれは常態化してしまい安定した政権に成りえないのではあるまいか。
日野は仏教教義において「法皇」は「天皇」に比して遥かに高位であり、その二つを同時に称号とすることは有り得ない、と主張する。(後段では⑥で正一位と従一位程度の差とも言うので、ここのところが腑に落ちないが、後述する)
では、問う。「天子」とは何か?道教においては、「天皇」は天の支配者であり「天子」は天の子供、つまり「天子」は「天皇」の下位者である。日野によれば「法皇」ははるか下位者の「天皇」を名乗らないと主張するがさらに下位である「菩薩天子」を名乗った「多利思北孤」は「法皇」ではなかったのか?日野は④で、「天」の称号を「仏法に帰依した権力者」が用いることは、考えられない、とする。この主張から「天子」を除外することは困難だ。
次に日野は、筆者のナンバーワンとナンバーツーの子供が同じ「皇子」を名乗るとは有り得ない、という主張に対し、正一位と従一位の関係を提示した。しかしながら日野の主張は「君臣」の関係を理解しているとは思えない主張である。正一位と従一位は位に差があるとは言えども共に「臣下」である。「臣下」である以上共に肩を並べることも、或いは追い越されることも有り得る関係だ。ところが、今、論じているナンバーワンとナンバーツーとは「君主」と「臣下」の関係である。正一位と従一位が「量的」関係とするならば、これは「質的」な関係である。この両者の子供が共に同じ「皇子」と呼ばれることを「想像がつかない」と控えめに表現したものに対し、正一位と従一位の関係を言うのは、欺瞞と言わざるを得ない。
さて、最後に日野は服部の提示した、女帝であれば「中宮天皇」と呼ぶに相応しい、という主張に対し、日本には女帝が後宮に籠る文化は無かった、と一蹴したが、これはあくまでも記紀的な状況だ。魏志倭人伝には
名は卑弥呼と曰う。(中略)男弟ありて佐けて国を治める。王と為りてより以来、見る者少なし。婢千人を以い、おのずから侍る。
とある。彼女は後宮に籠る女王(女帝)とは言えないだろうか?
これは会報の公開です。
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