会員総会中止と代替措置の報告(会報158号)
竹内強さんの思い出と研究年譜古田史学の会・代表 古賀達也
(会報166号)
『古田史学会報』採用審査の困難さ 編集部 古賀達也 (会報163号) ../kaiho163/kai16306.html
『古田史学会報』採用審査の困難さ
編集部 古賀達也
一、はじめに
「古代史の散歩道など」(主催者未詳)というブログに、「古田史学会誌は、ことのほか厳しい論文査読で定評があり、ここでも精妙で画期的な論考を査読、提供しています」と記されていることを知りました(服部静尚さんのご教示による)。それは『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』に掲載された野田利郎さんの論稿「伊都国の代々の王とは ―『世有王』の新解釈―」に対する好意的な批評の末尾に記されたものです。よい機会ですので、『古田史学会報』採用審査の困難さについて説明させていただきます。
二、困難な「新規性」の確認調査
投稿論文の審査では、『古田史学会報』は隔月発行のため、審査スピードも要求されます。しかし、審査で最初に行う先行論文・研究の有無を調べるという作業は困難で、誰でもできるというわけではありません。この投稿論文の新規性の確認について説明します。
特許に関わる人には常識ですが、その論文が新規性を有しているかを最初に判断します。過去に同様の仮説や考えが先行研究・論文で発表されている場合は新規性が無いと判断し、不採用とします。ただし、ここに難しい問題があります。それは特許用語で「選択発明」というもので、同様の先行特許があっても例外的に認められるケースです。この問題は後で説明します。
古田史学の誕生から四十年以上が経っていますから、それ以降に古田学派内で多くの研究論文や口頭発表がなされています。それら全てに先行論文・研究がないことを調べることはかなり困難な作業です。古田先生の著作・論文・講演録を全て読んでおり、関係団体から発行された機関紙類も読んでいる古くからの古田史学の読者や研究者でなければ不可能でしょう。この作業は主にわたしが担当しており、基本的には記憶に基づき、ネット検索や過去の刊行物を確認しています。
この先行論文・研究の調査が特許庁でも最も大変な作業です。『古田史学会報』の論文審査でもこの作業が最も難しく、採用後に先行研究の存在に気づくというミスも過去にはありました。この作業を「古田史学の会」創立以来わたしが担当しているのは、こうした事情によります。古田学派の論文の完全デジタル化によるアーカイブ設立が望まれます。
三、仮説(論文)の進歩性とは
投稿論文審査において、新規性と共に重視されるのが進歩性です。特許審査でもこの進歩性が審査されます。すなわち、今まで誰も造らなかった新規性のある発明でも、人間社会に役立つという進歩性がないものは特許として認可されません。『古田史学会報』の場合は学問研究に役立たない、特に古田史学・多元史観の進化発展に寄与しない論文は進歩性が認められないとして不採用になります。
極端な例でこの進歩性の有無について説明します。たとえば「聖武天皇は右利きであるという仮説を提起し、証明に成功した」という論文が投稿されたとします。おそらくこのような研究は誰もしていないでしょうから、新規性は認められたとします。次にその証明方法(特許では実施例)や史料根拠(実験データ)を確認したところ、たとえば現存する聖武天皇の真筆史料を精査し、その運筆の痕跡により右手で書いていることが証明できたとします。その場合、仮説は証明されており学説としては成立します。
しかし、このような論文自体には恐らく進歩性があるとは見なされないでしょう。もともと人は右利きが圧倒的に多数であることが知られており、聖武天皇も右利きであったことが確認できたとしてもそれは〝どうでもよい〟こととされるでしょう。更に古田史学・多元史観にとってみれば、大和朝廷の聖武天皇が右利きであろうと左利きであろうと、このこと自体は更に〝どうでもよい〟ことであり、多元史観の学問・研究に寄与する仮説とも思われません。もちろん、これほど極端に〝どうでもよい〟投稿は滅多にありません。
四、新規性・進歩性が際立つ古田説
極端な例で進歩性について説明しましたが、視点を変えると進歩性を有した仮説となるかもしれません。「聖武天皇は右利きであるという仮説を提起し、証明に成功した」という論文の証明方法が、たとえば運筆の痕跡から、右手で書いたか左手で書いたのかがかなりの精度で判定できる技術であれば、犯罪捜査に有効(社会の役に立つ)として進歩性が認められるかもしれません。
更に、この〝どうでもよい〟仮説や研究が一躍注目される可能性もあります。例えば次のようなケースです。「八世紀の大和朝廷の歴代天皇の真筆を先の分析技術で調査したところ、ほぼ全員が左手で書いていた。この事実は右利きであっても大和朝廷の天皇は左手で書くという作法習慣が存在していた」という、既成概念を覆すような事実を証明できたケースです。現実にはありそうもない仮説ですが、このような学界に衝撃を与える研究は注目され、その是非を巡って他の研究者が追試を行ったり、賛否両論が出され、学問の発展に寄与することでしょう。そうであればその仮説の進歩性が認められたことになります。
ちなみに、学界の常識を覆し、衝撃を与えた学説が古田先生の邪馬壹国説であり九州王朝説であることはご理解いただけることでしょう。古田先生の学説は際立った新規性と進歩性を持ったものなのです。
五、「選択発明」による新規制・進歩性
最後に「選択発明」について説明します。その定義は次のようなものです。わたしの専門の化学関連文献から引用します。
【以下、選択発明の解説を転載】
選択発明とは、物の構造に基づく効果の予測が困難な技術分野に属する発明で、刊行物において上位概念表現された発明又は事実上若しくは形式上の選択肢で表現された発明から、その上位概念に包含される下位概念で表現された発明又は当該選択肢の一部の発明を特定するための事項として仮定したときの発明を選択したものであって、前者の発明により新規性が否定されない発明をいいます。(中略)
請求項に係わる発明の引用発明と比較した効果が以下の(ⅰ)から(ⅲ)までの全てを満たす場合は、審査官は、その選択発明が進歩性を有しているものと判断します。
(ⅰ)その効果が刊行物等に記載又は掲載されていない有利なものであること。
(ⅱ)その効果が刊行物等において上位概念又は選択肢で表現された発明が有する効果とは異質なもの、又は同質であるが際立って優れたものであること。
(ⅲ)その効果が出願時の技術水準から当業者が予測できたものでないこと。(後略)
【転載おわり】※出典:福島芳隆「特許庁・審査官」『近畿化学工業界』(2019.07)
特許の専門用語を用いた説明で難解かもしれませんので、わたしの論稿を用いて具体的に解説します。
「洛中洛外日記」一九二三~一九二八話で連載した「法円坂巨大倉庫群の論理」で、わたしは南秀雄さん(大阪市文化財協会・事務局長)による「日本列島における五~七世紀の都市化 ―大阪上町台地・博多湾岸・奈良盆地―」の講演内容を紹介し、その中の重要な四点に着目し、それらがわたしの前期難波宮九州王朝複都説を結果として支持していると指摘しました。その論稿においてわたしが提示した論理構造は次のようなものでした。
(a) 上町台地北端に古墳時代で日本最大の法円坂倉庫群が造営される。他地域の倉庫群(屯倉)とはレベルが異なる卓越した規模である。
(b) 古墳時代の上町台地北端と比恵・那珂遺跡は、内政・外交・開発・兵站拠点などの諸機能を配した内部構造がよく似ており、その国家レベルの体制整備は同じ考えの設計者によるかの如くである。
(c) 法円坂倉庫群はその規模から王権の倉庫と考えられるが、それに相応しい王権の中枢遺跡は奈良にはなく、大阪城の場所にあった可能性がある(確認はされていない)。
(d) 上町台地北端部からは筑紫や朝鮮半島(百済・新羅)の土器が出土しており、両者の交流や関係を裏付ける。
(e) 六五二年(九州年号の白雉元年)には国内最大規模の前期難波宮が造営され、難波京へと発展する。七世紀中頃は全国に評制が施行された時代で、「難波朝廷、天下立評」と史料(『皇太神宮儀式帳』)にあるように前期難波宮の権力者によるものである。
(f) 九州王朝説に立つならば、全国に評制を施行した権力者は九州王朝(倭国)と考えざるを得ない。
(g) 以上の考古学的事実とそれに基づく論理展開は、前期難波宮九州王朝複都説を支持する。
上記の内、(a)~(d)の部分は南さんの講演要旨と既知の考古学的事実やそれに基づく解釈であり、新規性はありません。また、(e)は文献史学に基づく前期難波宮に対する通説の解釈であり、これも新規性はありません。(f)が九州王朝説に基づくわたしの解釈で、この部分でようやく新規性が発生します。そして(g)の結論へと続きます。この(f)と(g)が選択発明に必要とされる「効果」に相当します。その「効果」は(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)の用件全てを満たしており、その結果、「その選択発明が進歩性を有しているものと判断」されることになります。すなわち、この「選択発明」には「引用発明と比較した効果」が認められるのです。
この「引用発明」とは一元史観による考古学的事実への解釈のことであり、それに比べて多元史観・九州王朝説による解釈には新規性があり、際立った仮説であり、一元史観からは予測できない仮説であると認められるのです。なお、この新解釈(前期難波宮九州王朝複都説)が正しいか否かは、新規性・進歩性の有無の判断とは一応別です。『古田史学会報』の投稿採否審査でも同様で、その仮説の新規性と進歩性をまず審査しますが、この段階では仮説や結論の是非、ましてや審査する編集部員の見解と一致しているか否かは全く審査基準とはされません。
六、一元史観にも詳しい若者を求む
論文審査で困難な作業に、異分野や一元史観での既存研究の確認があります。古田史学関係の研究であれば、これまでの経験により、何とか新規性の確認はできるのですが、一元史観の最先端研究動向の把握は困難です。プロの学者なら同業者の研究動向の調査は仕事の一環として日常的にできるでしょう。わたしの場合、一元史観の古代史論文・著書や各大学・研究機関が発行する紀要などは図書館でたまに目を通すくらいで、論文審査のためにそれらを毎日のように読むと言うことは不可能です。
しかし、投稿原稿に一元史観の学説との対比などが記されている場合は、その一元史観の論文が最新学説なのか、最有力学説かなどはわたしには判断できません。一元史観での古い研究が、同じ一元史観の新研究により既に否定されているケースもありますので、投稿論文中に引用され、それを批判していても、その批判に新規性があるのかどうかの調査は必要となります。そのため、わたしが勉強していない分野や、一元史観の最新研究動向が不明な場合は、その分野に詳しい会員や知人に教えていただくこともあります。
このような課題も残されていますので、将来的には大学で国史(一元史観)を専攻した古田学派の若者に『古田史学会報』編集部に加わっていただきたいと願っています。
編集後記
会報一六三号をお届けします。
本号では、編集担当者にしか成し得ない反則技を使ってしまいました。本号に掲載された日野稿への反論である拙稿を同じ号に掲載させて戴いたのです。巧くページが埋まらなかった為の苦肉の策ではありましたが、日野君並びに読者の皆様には深くお詫び申し上げます。
新型コロナウイルスは相変わらず猛威を振るっており、お蔭で関西例会リモート参加する為にPC環境を整えざるを得ず、大枚をはたいてしまいました。ワクチンを打つ迄の辛抱でしょうが、そのワクチンも何時打てるのやら。更にそのワクチンに対しても否定的な意見をお持ちの医学者もいらっしゃるようです。小生も「副作用」(これならワクチンに責任)を「副反応」(これだと我々に責任)と言い換える政府や医薬界に不信感を抱かざるを得ません。 高松市 西村秀己
これは会報の公開です。
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