連載小説『彩神(カリスマ)』第十話 真珠(1)・(2)・(3) 若草の賦(1)
◇◇連載小説『彩神(カリスマ)』 第十話◇◇◇◇◇◇
真珠(2)
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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深 津 栄 美
雁の羽冠ををなびかせた女達が、難破船の板切れで拵えた食器を運んで来る。わざわざ破れ船のかけらを使ったのは、雁が海を渡る際、沈んだ船の一部をくわえて飛び、疲れると波間に枝代わりに落として暫し羽を休める性癖があるからだろう。雁の持ち込む難破船の名残を天国は無論、大国や木の国でもいつの頃からか神聖視して、社の薪に用いるようになっていた。
笛や太鼓が急調子になるにつれて、巫女達の回転も速くなる。被衣のなびき方や位置により、女の素顔が露わになる時もあり、伶人(楽士)に混って笛を奏でていた八島士奴美は、下照の頬に涙が光っているのをはっきり認める事が出来た。
末廬国のみちるとの新婚の挨拶に赴いて以来、天国訪問は彼にとって年中行事になっていたから、甥や姪の成長はつぶさに見て来た。身内の欲目を差し引いても、下照は美しい娘だと思う。しかし、血を分けた兄まで惑わすとは・・・母の多紀理や父の八千矛は気づいていたのだろうか・・・?
玉かづら懸けぬ時なく恋ふれども・・・
(前掲)
赤く透明な勾玉と真珠とが、交互に美しく明滅する。赤玉は兄の血潮、真珠は兄の輝く眼差、皓歯の微笑・・・神の寄代を形見に残して、兄は逝ってしまった。どんなに望んでも悶えてもあのりりしい姿や明るい笑顔、男らしい声音は返って来ない。
(兄上、なぜ死んでしまわれたのです?私を置いて・・・私が天若彦を夫に迎えたのは、兄上と生き写しだったからですわ。兄上は中富の叔父上の姫君を奥方にされて子供もおありになるし、実の親子兄弟が結ばれるのは神意に悖る事・・・だから、私は容姿も声音も肌や目の色、動作まで兄上とよく似た男を求めたのです。夫が探女・鈿女姉妹と密通じているのは百も承知で・・・なのに、刺し違えて死ぬだなんて・・・お二人が好色な老婆の罠にかかった、などという噂、私は信じません。他人には言えない重大な訳がおありだったのでしょう?だからこそ、兄上は義弟殺し、倒錯した死に方の汚名を敢えて被られたのです。兄上はこの真珠のように、いつも晴朗なお方であるべきなのですもの──ね、お願い、そうだと言って下さい。私なり、この玉蔓なりに乗り移って。でないと私、救われません。私の忍耐は、全て徒労になってしまいます。兄上だけが私の支えだったのに、これから誰を頼りに生きて行けば良いのです・・・?)
「下照様、しっかりなさってーー」
よろめいた下照を誰かが抱き止め、耳元で低い女の声が励ました。
(鈿女・・・!)
八島士奴美の目が光る。
初めてみちるを伴って訪れた際、天国は昼間から太陽が闇に飲み込まれるという異常現象に見舞われ、上を下への最中だった。その時、同じ沖津の宮(現福岡県沖ノ島)で日招きの乱舞を演じたのが、まだ少女といって良い鈿女だった。興が乗るにつれ、白衣も袈裟もかなぐり捨てて黒髪が魔物のように跳ね、松明の光に無気味に交錯し、両腕や股間には妖し気な茂みが覗き、溢れた胸や太股には鴇色の領巾が嬌かしく絡みもつれ、ちりばめられた螺鈿が汗の滴さながら全身に燦めいた光景は、今尚目に灼きついている。あの奔放な巫女が、長じて下照の側仕えになったのか。これでは、実の兄妹が結びついても致し方ないかもしれない。
だが、八島士奴美は、それ以上感慨にふけってはいられなかった。鈿女が左で下照を支えながら、右手に隠し持った短剣を相手の胸に突き刺そうとしたのだ。
「危ない!」
八島士奴美の笛と共に猿田彦の杖が飛び、鈿女の短剣をはたき落とした。
(続く)
〔後記〕この話の題名にした真珠に関する歌は、『万葉集』にいろいろ出て参りますが、古田先生の『古代史の十字路』によれば、同集第一巻十二番の中皇命の歌における「阿胡根の浦の珠」は、現英虞湾の真珠との事。そうなると、同集第九巻のほぼ冒頭に当たる、
1). 妹がため吾玉拾ふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波(一六六五番)
2). 妹がため我玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波(一六六七番)
この二首はどういう事になるのでしょう。どちらも読み人知らずですが、 1).は「岡本宮御宇天皇の紀伊国に幸しし時の歌」、 2).は「大宝元年辛丑冬十月、太上天皇太行天皇、紀伊国に幸しし時の歌」と前置きがあります。が、先生は、『万葉集』の前置きは信用出来ない、との御意見。この二首も、九州王朝の王者、もしくは東海王朝の作品の可能性を考えるべきでしょうか。(深津)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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