連載小説『彩神(カリスマ)』第十話 真珠(1)・(2)・(3) 若草の賦 1・2・3・4・5 杉神1
    
連載小説「彩神」第十話
若草の賦(1)
                深津栄美
      ***古田武彦『古代は輝いていた』より***
 〔概略〕冬の「北の大門」(現ウラジオストク)攻めを敢行した三ツ児の島(現隠岐島)の王八束(やつか)の息子昼彦は、異母兄淡島に海へ捨てられるが、天(あま)国(現壱岐・対馬)に漂着、その子孫は韓(から)へ領土を広げ、彼の地の支配者の一人阿達羅(アトラ)は天竺(現インド)の王女を娶るまでになる。対岸に栄える出雲の王八島士奴美(やしまじぬみ)は、末廬(まつら)の王女みちるを兄志々伎(シジキ)の虐待から救い、正妻に迎えるが、天国の当主高彦根(たかひこね)の葬儀に赴(おもむ)いた際、志々伎の密告による宗主国乗っ取りの陰謀に巻き込まれ、落命してしまう。
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       「建たけ様、建御名たけみなかた方様!」
       澄んだ呼び声が、小道を伝わって来る。
       振り向いた青年の目に、薄緑の紗(しゃ)の領巾(ひれ)と袖の膨らんだ上衣、春まだきの野に明るい色を綴(つづ)るレンゲツツジの裳(も)がそよぐ。巫女(かんなぎ)の印の青と白の元結(もつとい)でまとめた黒髪がなびき、桜色の頬に星のような瞳が輝き、駆け寄る全身から爽やかな香りが微風のように青年に吹き付けて来る。
       「さっそく着てみたのか?」
       微笑する青年に、
       「ええ、待ち切れなくて。」
       娘は両手を打ち合わせ、
       「いかが、似合いまして?」
       と、回転してみせた。
       「美しいとも。それでこそ、おぬしは春の野を白銀(しろがね)の光に統(す)べる御影石の精だ。」
       青年は許嫁(いいなづけ)の手を取ったが、彼も竹色の衣褌(きぬばかま)に覆われて、さながら一対の若草の精のようだった。
       近くで馬のいななきが上がり、
       「まあ、見事な栗駒──。」
       娘が目を瞠(みは)ると、
       「宗像の義母(はは)上からの引出物だ。名は峰風(みねかぜ)という。」
       青年は嬉し気に鬣(たてがみ)を撫(な)で、
      「どうだ、こいつに乗って笠沙(カササ)の岬まで出てみるか? 末廬の叔母上が舟遊びをしておられる筈(はず)だ。」
       言うなり、岩長(イワナガ)を鞍(くら)に抱え上げた。
       建御名方が背後に股がって手綱を打ち振ると、栗駒は土煙を巻いて走り出す。草がなびく。木々がうねる。家々や丘陵が飛び去る。農夫らが慌てて脇へよけ、放牧牛が蹄に応えるようにのどかな唸り声を立てる。空と海が行く手に吸い込まれるような青さを広げ、中央に一筋の道が白く際立つ。
       「凄(すご)いわ、まるで天駆(あまが)けるよう──。」
       岩長は歓声を上げ、
       「背中に翼が生えているみたいだな、この馬は。」
       青年も声を弾ませる。
       建御名方は大国(現島根県)の八千矛と神屋楯(カムヤタテ)の間に生まれた次男坊で、兄の事代主が父の片腕を勤めて故国(くに)を動けない為、代理として木の国(現福岡県基山付近)を訪れ、木俣(くのまた)と滾の長女岩長と恋に落ちたのである。今夜はいよいよ筥崎の本で、二人の婚礼が行われる。式に先だって建御名方は舶来の香料や衣(きぬ)を贈ったのだが、岩長は早々とその全部を身に付けてしまったのだ。岩長にすれば、松明と陽光とでは趣が異なるし、出来れば蒼穹(そうきゅう)の下(もと)で自分の晴れ姿を許婚者(いいなづけ)に見て貰い、自分達が新居を定める予定の笠沙の岬にも、日の高い中(うち)に二人で立ちたかった。年中穏かな波が岸辺を洗い、濃緑(こみどり)の葉に薄桃色や純白の桜草が垂れ下がり、釣(つり)川の流れが笑うように入江に注いでいる彼の地こそ、自分達の愛の巣に適(ふさわ)しい。今、栗駒が疾走して行く韓(から 南朝鮮)の方角に伸びた道にも、燦(きら)びやかな旅商人の行列が行き交い、諸国の船が次々と入港し、母の司る宗像の社の森が彼方に鬱蒼たる翼を広げ、自分達を守護してくれるだろう。父の治める橿日宮(かしひのみや 現福岡県香椎宮)に代わり、今度は笠沙の岬が木の国の新たな中心となるのだ。
       「そら、叔母上の舟が見えて来たぞ。」
       建御名方は小手をかざし、
       「獲物はありましたか?」
       海上に向かって、些(いささ)か傍若無人な呼ばわり方をした。
       舟の人々は驚いて振り向いたが、
       「釣れましたとも、超特大の鯛(タイ)がね。」
       みちるが朗らかに笑い返し、
       「お二方、お静かに──魚が逃げてしまうじゃありませんか?」
       侍女達が咎(とが)めた。
       「すまんゝゝゝ。俺も手伝うよ。」
       建御名方は頭をかき、若い一組は馬を下りた。
       裾を絡(から)げて汀(なぎさ)に立つ岩長に、みちるは舟を漕ぎ寄せ、
       「木の花も連れて来てやれば良かったわね。」
       釣針を渡しながら、岩長の妹の名を口にした。
       「あの子はまだ乳歯が抜けませんから──一端(いっぱし)大人ぶって母と今夜の準備をしてましたけど、飾り付けやお料理を拵(こしら)えるより、つまみ食いをしている方が多いんじゃありませんかしら・・・?」
       岩長は肩を聳(そび)やかし、
       「あら、じゃ、この鯛もあなた方の口には入らない結果(こと)になるのかしら・・・?」
       みちるがおどけて首を傾げる傍で、
       「どうだ、鯵(アジ)に鯖に渦輪鰹(うずわガツオ)──俺様の手にかかれば大漁だろうが。」
      建御名方が、銛(モリ)に突き刺した銀の魚の群をひけらかしている。その足が急に硬くて丸い物を踏みつけ、重心を崩しかけて岩長に抱き止められた。
       「猿も木から落ちると申しますわね。」
       「油断大敵ですわよ、若君。」
       侍女達の冷やかしに、
       「何だ、こりゃ?」
       建御名方はしかめっ面(ツラ)で、自分にたたらを踏ませた原因をつまみ上げた。透明な紅白の玉蔓(かづら)が、
 みさごゐる沖の荒磯(あらそ)に寄する波
       行方も知らずわが恋ふらくは
      (みさごの住む沖合から岸辺にうち寄せる波の行方が判らないように、私の恋もどこへ彷徨(さまよ)って行くのだろう・・・?)
       〔『万葉集』第十一巻二七三九番〕
                (現代語訳、筆者)
       と、恋歌を表わす形に結ばれている。
      が、みちるは一目見るや、
       「ちょっとお貸しなさい。」
       と、眉を寄せた。縄の結び方が、夫にしか出来ないものだったからだ。
       「八島士奴美様に、何か・・・?」
       説明を聞いて、一同の顔も曇る。
       不意に、岩長が建御名方の腕をつかんだ。沖に何隻もの軍艦(いくさぶね)の影を認めたのだ。   (続く)
  
      〔後記〕ようやく「天孫降臨」の件(くだり)に漕ぎつけました。九州にみちのく、大和朝廷もこれから登場となるのですが、概略では始終触れている「海上の道」、長い目で見ればバンドン、スラバヤ、シンゴラ、パタニー、パレンハン、インパールという事になるので、何とかお披露目したいですけれど、いつになるやら・・・?
       事代主(コトシロヌシ)の魚釣りは貴婦人達に置き換えましたが、いつか木村賢司氏が紹介しておられた黒鯛の呼称、関西の「チヌ」は神武達が戦った血沼(ちぬ)の海と、南九州の「チン」は天皇の自称である朕と、何か関係あるでしょうか。(深津)
 これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集〜第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。) 
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