『彩神(カリスマ)』 第十話 若草の賦(ふ)1・2・3・4・5 杉神1
連載小説「彩神」第十話
若草の賦(2)
深津栄美
***古田武彦『古代は輝いていた』より***
「浜の方々に物申す!」
大喝(だいかつ)が響き、栗駒が脅えて鼻を鳴らした。後に聳える切り立った崖の上下にもいつの間にか、太刀(たち)を佩き、矛や槍を構えた青銅の甲冑姿が勢揃いしていたのだ。軍艦(いくさぶね)の帆柱には、組み合わせた二本の斧を白地に藍で染め抜いた、由緒ある天国の紋所が翻(ひるが)っている。
「我々は、天照(アマテル)様と白日別(しらひわけ=北九州)の嫡子高木王の御孫(おんまご)天火明(アマノヒアカリ)様、及びその弟君邇々芸(ニニギ)の命のお伴をして参った。木の国が大国の威勢を借りて末盧(まつら)国を簒奪した罪状は、志々伎(シジキ)王の訴えにより明白である!」
手を輪にして口の端(はた)に当て、呼ばわる先頭の武士(もののふ)に、
(建雷タケミカヅチ・・・!)
岩長も建御名方も目が飛び出しそうになった。
天照の夫高木王の甥で、「葦原の中つ国」こと宗像の社の北の那珂川付近に勢力を張っている中富親王の息子、建雷である。大屋彦や、その後を継いだ木俣(くのまた)とも親戚付合いをして来たのに、さては領土拡大を計って秘かに自分達を敵に売り渡したのか・・・!?
「聞けば、簒奪者のみちる女王が目下、木の国を訪問中の由、おとなしく女王(ひめおおきみ)を引き渡せば木の国も大国も罪状を許し、天国の属州として今後も安泰を保証されるであろう!」
呆気に取られている人々の耳を、甲板からの新たな呼び声が突き刺した。
みちるの顔が、透き通る程青ざめる。兄は無事だったのか・・・七つ釜の水底(そこ)に沈んでいる青玉造りの神の船を引き上げようとして天罰を受けたと思い込んでいたのに、天国に漂着して天照夫妻をそそのかし、故国(くに)の奪回ばかりか木の国や大国への報復をも企てたのか・・・? 幾ら虐待されたとはいえ、自分は妹、一番上の子供に後を継がせるという世の慣習(ならい)からすれば、簒奪者の汚名は免れない。
「バカを言うな、天鳥船(アメノトリフネ)!」
建御名方が甲板へどなり返す。
「天国だけで木の国と末盧、大国の三つと戦えるのか? 大国には越(現福井〜新潟)や吉備(=岡山)、阿波もついているんだぞ!」
「事代主の自害で、おぬしの父上は『日隅ひすみの宮』(現山口県日置(へき)〜三隅(みすみ)付近〜)へ蟄居の身だ。」
建雷の不敵な声が割り込んだ。
「兄者が・・・!?」
息を飲む建御名方に、
「事代主がいつも釣り場にしている美保ケ崎を、俺の部下たちが先手を打って包囲したのよ。釣針一本しか身に着けていないんじゃ丸腰同然、おぬしの兄者は潔く抵抗を諦めて、我が身を海神の犠牲(いけいえ)に捧げたぜ。」
建雷は切っ先を突きつけた。まるで水の中に炎が燃え上がっているような、鋭い鋼(はがね)の刃(やいば)だ。触っただけで、指が血を吹くだろう。大陸と近接しているだけに、天国は倭地の念願だった鉄の精錬法を自分達に先駆けて入手したのだ。
だが、建御名方は、隙を突いて魚獲りの銛(もり)で相手の刃(は)を叩き落した。
「こいつ、逆らうか?」
建雷の近侍が槍を振り上げる。が、彼も呻(うめ)いて前のめりに砂に突っ込んだ。岩長が、釣針で敵の喉笛を刺し貫いたのだ。
「巧いぞ、岩長ーー」
建御名方は建雷の刃を拾い、
「おぬしと叔母上は早く橿日へ??」
と、峰風(みねかぜ)の手綱を放った。
岩長は心得て馬の背に飛び乗り、侍女達も総手でみちるを鞍へ押し上げる。
「待て!」
天国軍は矢を射かけたが、峰風は再び土煙を巻いて橿日宮(かしひのみや)へ突進して行った。
漁師や農夫達も異変を悟り、
「天国の軍勢だ!」
「皇子(みこ)二人を頭将(かしら)に押し立てて、攻めて来たぞーー!」
叫び声が木精し、隣家や村長(むらおさ)の許へ飛び込む者、うろたえて荷造りにかかる者、井戸端に固まって不安そうに囁きあっている者、建御名方が単身、刃を振るっていると聞いて、助太刀しようと浜へ駆けて行く忠義者達もいる。
橿日宮へも一早く誰かが知らせたのか、峰風が庭先へ滑り込むと、
「叔母上、姉君ーー」
岩長の妹木の花が、真っ先に走り寄って来た。ほっそりした岩長に対し、桃の花が綻(ほころ)びたような愛くるしい乙女だが、いつもの陽気さはどこへやら、水色の裳を引いて現れた母の滾(タギツ)に劣らぬ生白い顔をしていた。
「天国が攻めて来たんですって!?」
「さっき、漁師のお米(よね)・平吉夫婦が知らせてくれたのですが、本当ですか?」
「建(タケ)兄様はーー?」
口々に質問を浴びせられ、
「本当ですとも。嘘なんかついて何になります?」
「建御名方様お一人で苦戦していらっしゃるわ。早く行ってあげてーー。」
岩長とみちるは切迫した表情で訴え、兵士らが次々に駆け出していく。
「天鳥船共が、末盧の簒奪者としてあなたを引き渡せとほざいているようだが、御安心下さい。我々は、決してあなたを敵に売ったりはしませんぞ。」
木俣も出て来てみちるを激励しているところへ、
「岩、長・・・面目ない・・・。」
苦し気な息使いと共に、満身創痍となった竹色の影が担ぎ込まれて来た。
「建(タケ)様ーーまあ、なんというお姿に・・・!」
すがりつこうとする娘を、
「それより、この方の手当てじゃ。」
滾は制して、薬草や布切れを取りに行かせた。
俄か作りの褥(しとね)に横たえられた建御名方は、
「父も兄も撤退させられ、我が身も負傷したからには、東[東是]国(=銅鐸圏)か、越人の一部が移り住んでいる諏訪湖畔へ落ちのびるしかありませんな。」
無念そうに、腹違いの兄であり舅でもある木俣を仰いだ。
「何を言う? 吉備(=岡山)や越を忘れたのか? 我が国にも立花(たてはな)や亀山の社(大国の祖先神(おやがみ)の一人大年(おおとし)を祭る現福岡県の神社)が・・・。」
木俣は励ましたが、建御名方は首を振った。
「吉備も阿波も須佐之男様との確執が因で内心、我らを良く思ってはおりませぬ。越人(こしびと)にしたところで、機会(おり)あらば挙兵し、翡翠宮(ヒスイのみや)を破壊された仇を討ちたいと考えておりましょう。その点、東[東是]国や諏訪は特に血縁関係もなし、新たに大国の傘下に引き入れる事も可能かもしれません。」
(私のせいで、こんな事になってしまって・・・)
みちるは溜息をついて、紅白の玉蔓を探った。
みさごゐる沖の荒磯に寄する波・・・
(前掲)
末盧の方言で「シジキ」は蜆(しじみ)貝を指し、みさごの好物である。海鷲(うみわし=みさごの事)が沖に舞っているというのは、蜆貝が集まっているーーつまり、兄の生存と風雲の蟠りへの暗示なのだ。いつぞや天国の巫女が、西方から青玉が流れ着くと占ったそうだが、志々伎を意味していたのかーー八千矛が沖津の宮(現福岡県沖ノ島)の多紀理(タキリ)との間に設けた高日子根は、妹の夫天若彦と対海(つみ=対馬)の使者を争い、共倒れになったそうだが、真実は義弟が建雷らと裏工作しているのに気づいて刺し違えたのかもしれない。こんな連絡を寄こすところを見ると、高日子根と天若彦の殯(もがり=葬式)へ行った八島士奴美と猿田彦も、不意を襲われるか何かしたのだろう。いずれにせよ、志々伎が生きていたのでは、自分達の愛も人生も終りを告げるしかないのだ。
みちるはそっと涙を拭い、立ち上がった。(続く)
[筆者後記]
会報第五十八号の古賀さんの松本講演会、大変面白うございましたが、九州年号には「大和」(だいわ、と読むのでしょうか)というのもございます。最終年号「大長」の一つ前ですが、ヤマト朝廷の「ヤマト」も「大和」と表記されます。白村江の敗戦(六六三年)と壬申の乱(六六四年)がほぼ足並みを揃えて起こった事と、何か関係があるのでしょうか。(深津)
これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集〜第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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