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『荘子』の二倍年暦 古賀達也(会報58号)
『曾子』『荀子』の二倍年暦
京都市 古賀達也
『曾子』の二倍年暦
『論語』が二倍年暦により記されていることを本連載(注1.)で明らかにしてきたが、もし拙論が正しければ、孔子の弟子達もまた二倍年暦で語り記したはずである。今回、孔子の弟子の一人、曾子(曾参(そうしん)、あざ名は子與(しよ))の言をまとめた『曾子』において、二倍年暦が使用されていることが明らかになったので、報告する。なお、『曾子』のテキストと訳は武内義雄・坂本良太郎訳注岩波文庫本(注2.)によった。
現存『曾子』は十篇よりなっており、その年齢表記記事に二倍年暦が使用されている。次の通りだ。
1)「三十四十の間にして藝なきときは、則ち藝なし。五十にして善を以て聞ゆるなきときは、則ち聞ゆるなし。七十にして徳なきは、微過ありと雖も、亦免(ゆる)すべし。」(曾子立事)
2)「人の生るるや百歳の中に、疾病あり、老幼あり。」(曾子疾病)
当時の人間の一般的な寿命は三十歳代、四十歳代であり、1)の記事も二倍年暦として見なければ、「一般論」としての説得力を持たない説話となろう。2)は百歳という年齢表記から二倍年暦として理解せざるを得ない用例である。なお付言すれば、1)の記事は『論語』為政第二の記事、「而立(三十歳)」「不惑(四十歳)」「知天命(五十歳)」「不踰矩(七十歳)」との対応からも興味深い。少なくとも曾子のこの言は、師である孔子の言葉を十分意識したものであることを疑えないであろう。
以上のように『曾子』に見える二倍年暦の用例を紹介したが、同じく曾子の言として『礼記』に採録されている記事にも二倍年暦の用例が見える。
「曾子曰く、宗子は七十と雖も、主婦なきはなし。宗子にあらざれば、主婦なしと雖も可なり。」(岩波文庫『孝経・曾子』所収「曾子集語」による)
正式な跡継ぎたるものは七十歳(一倍年暦での三五歳)であっても主婦(正妻のことか)がいなければならないが、跡継ぎでなければいなくてもよい、という内容である。当時としては三五歳は「老齢」であり、この七十歳も二倍年暦として理解しなければならない。
『荀子』の二倍年暦
『荀子』は周代末期の思想家荀況の思想を伝えたものである。全三二篇中に年齢表記記事は少ないが、次の例が二倍年暦によっているようである。
1)「八十の者あれば一子事とせず。九十の者あれば家を挙(こぞ)って事とせず。」(巻第十九、大略篇第二十七)
【通釈】八十の老人がいる家ではその子供一人は力役につかなくてよい。九十の老人がいれば家中みな力役につかなくてよい。
2)「古者、匹夫は五十にして士(つか)う。天子諸侯の子は十九にして冠し、冠して治を聴く其の教至ればなり。」(巻第十九、大略篇第二十七)
【通釈】むかし、一般の人民は五十歳になってから仕官したが、天子や諸侯の子は十九歳になると〔一人前の男子として元服して〕冠をつけ、冠をつけると政治をとったが、それはその教養が十分に身についていたからである。
※岩波文庫『荀子』金谷治訳注による(注3.)。
1)の例は、八十歳・九十歳という当時としては考えにくい高齢記事であることから、二倍年暦と見なされよう。2)は仕官する一般的な年齢を五十歳とすることから、明瞭な二倍年暦の例である。これがもし一倍年暦であれば、当時としては寿命の限界と認識されていた五十歳になって初めて仕官するなどということはナンセンスである。このように周代末期の史料『荀子』も二倍年暦であったと考えざるを得ないのであるが、そうすると次に見える喪服期間月数から、周代の二倍年暦は現在の半月を一ヶ月として、その十二ヶ月で一年(現在の半年)とするものであることが推定できる。
「三年の喪は二十五月にして畢(おわ)る。」(巻第十三、礼論篇第十九)
※同前。
儒教の喪服期間は三年とされるが、それが二五ヶ月とされていることから、この三年とはいわゆる“あしかけ三年”であることがわかる。すなわち、二四ヶ月(二年)と一ヶ月だ。そして、この一ヶ月は一倍年暦の半月に相当することから、ここでいう三年の喪は現在の一年と半月に相当することになる。したがって、本来の儒教の喪服期間は約一年ということになり、これであればそれほど非現実的な長期間ではないのではあるまいか。
同時に二十歳のことを弱冠というが、これも現在の十歳のことであり、それであれば“弱”という表現もピッタリである。このように二倍年暦による『荀子』の史料批判の結果、儒教の礼体系がよりリーズナブルな制度として認識できるのである。
以上の用例が示すように、孔子の弟子たちも二倍年暦で語っており、『論語』をはじめ『荀子』に至るまで、周代史料が基本的に二倍年暦で著されていることは、まず動かないと判断できよう。
(注)
1. 「孔子の二倍年暦」古田史学会報No.五三、二〇〇二年十二月。
2. 岩波文庫『孝経・曾子』一九八八年第三刷。
3. 岩波文庫『荀子』一九六一年第一刷。
これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集〜第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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