高天が原の神々の考察 -- 記紀の神々の出自を探るII(会報58号)
オホトノヂは大戸日別国の祖神 記紀の神々の出自を探るV-(1)-(会報60号)
ウヒヂニ・ツノグイの神々の考察
記紀の神々の出自を探るIV
(神世7代のコンビ神 前編)
大阪市 西井健一郎
“一大”率は“一大”国が派遣した部隊という古田先生のご論証を勝手に「一大率の等式」と名づけ、その等式を拡大援用し、同じ文字や発音は同じ存在を示すとの論理で、記紀に記載されている神々の出自を探る試みを続けている。
今回は紀の始原神話の続き、ウヒヂニからイザナキ・イザナミに至る男女セット神のうち、ウヒヂニ・スヒヂニ、ツノクイ・イククイの出自を記紀の記事に探る。戸日別国探索を必要とするオホトノヂ、イザナミの親のカシコネと鬼面尊の亦名らしいオモダルについては、後稿に譲る。
1.ウヒヂニとスヒヂニ
1)神世の5組の夫婦神
紀は天の常立神や葦牙彦舅などの始原神の各一書を紹介した後、本文に戻り「次に神有す」と4セットのコンビ神名を載せる。ただし、記と紀の一書には、ツノクイ・イククイが追加され、次記の5セットになる。
“次成神。宇比地邇神、次妹須比智邇神。次角杙神、次妹活杙神。次意富斗能地神、次妹大斗乃辧神。次於母陀流神、次妹阿夜志古泥神。次伊邪那岐神、次妹伊邪那美神。”〔岩波文庫30-001-1 古事記(以下、記と略記)による〕
これらコンビの神を、紀の一書では「男女たぐひ生る(註に、男女匹偶して生まれる意)神」〔岩波文庫30-004-1日本書紀一(以下、紀(一)と略記)より〕と紹介する。が、記紀の編者がそう見做しただけ、すべてが男女のコンビではない。
2)土を焼く神
第1のコンビ、宇比地邇と須比智邇の神を考察しよう。
文庫本・記の註には「泥や砂の神格化」とにある神だが、私見では、彼らは泥土の神ではなく土器製作の神である。男女に区別する必要はない。
この2神は、紀には、[泥/土]土[者/火]・沙土ニ(同前)と載る。表記に素直に従えば、泥土や砂土を火にかけるのだから当然、土器作成の神である。縄文からの神だろう。焼き崩れやクラックが入りませんようにと火をつけるたび、祈られた神ではないか。
特に“沙”は、カグツチが斬られる場面に、「草木・沙石のおのづから火を含む縁なり(紀)=“是時、斬血激麗、染於石礫樹草。此草木沙石自含火之縁也”」とあるから、火がつく石を指しているようだ。同本の註に沙石は燐かとある。砂が溶ける意味にとると、スヒヂニは一段進んだ陶器の神かもしれない。
[泥/土]土[者/火]の[泥/土]は、JIS第3水準ユニコード57FF、[者/火]は、JIS第3水準ユニコード7151
火の神では、生まれる時に母イザナミの陰部を焼き死に至らしめた、そのカグツチ(紀:軻遇突智。記:迦具土)神がいる。彼の遺体に成る神々は刀剣作製の順序を述べている(記の註)とある。こちらは金属の鋳造や錬造などに関わる神らしい。当然、時代的には新しい弥生の神であろう。
3)類似する比地邇とヒジリ
一方、この2神の男女別を示すと思われる“ウ”と“ス”を除く共通基幹部は“ヒヂニ”である。このヒヂニに近い音を持つ神がいる。それが記の大年神の子の5神の一人、聖神である。
ヒジリは“日(暦)知り”からといわれるが、“火の尻”とも読み取れる。出自は肥後で、そこの地神だったのかもしれない。聖神の兄は、筑紫の別名白日別からの名を持つ白日神だから、筑紫に続く肥後の神でもおかしくはない。阿蘇の溶岩から土器を作ることを学んだ人達が、やがて土器製作の神に崇められていったとの想像が楽しい。もっとも、例会では、当時火の国が前後に分かれていた保証がないから肥後神とするはムリとのもっともなご指摘を頂戴した。
ついでに、肥の国の亦名は建日向日豊久士比泥別と記す。建日(熊曾)と向日(日向or白日の誤記)と豊国と久士比(奇日別=不知火)の各植民地で混成されていたか、それらの国々が分割統治する地だったのか、興味深い亦名である。ヒヂニの神がヒジリの神に転じたとすると面白い。だが、頭のウとスの説明がつかないから、別神であろう。
2.ツノクヒとイケクヒは対馬と壱岐の咋
1)杙(幟*)は咋である
第2はツノクイとイケクイのコンビ神である。
記は角杙神・活杙神と載せ、紀では本文にはなく、第1の一書に角ーー尊・活ーー尊と書く。クイは、記の註に「杙の神格化か」とあり、紀(一)の註は「ツノは芽生えるもの。イクは活日・活玉などのイクに同じ。生命力あるものを示す。ツノとイクで男女の対立を示そうとした。クヒは農業における土どめのクヒによる命名とも見られる」とある。しかし、当会の常識では、クイは大山咋神(記)など神位を現す“咋”である。角と活がその出自を示す。
活はかっこよくイクと訓るが、本来はイキつまり壱岐の呼称に“活”をあてたと見る。前稿で述べたように、神活須毘(記)は“神・壱岐の産巣日”である。
活杙が壱岐の咋神なら当然、角杙は“津の”島の、つまり対馬の咋神になる。
幟*は、巾の代わりに木。JIS第4水準ユニコード6A34
2)壱岐と対馬で1セット
このように壱岐と対馬がセットされる例は、記紀では珍しいものではない。記の宗像3女神の誕生譚は、“於吹棄氣吹之狭霧所成神御名、多紀理毘賣命。亦御名、謂奥津嶋比賣命。次市寸嶋比賣命。亦御名、謂狭依毘賣命。次‥。”と記す。また、紀の同ウケヒの第3一書にその部分は、“日神先食其十握劒化生兒瀛津嶋姫命。亦名市杵嶋姫命。”と載る。これら市寸嶋比賣=市杵嶋姫はイコール一岐嶋姫、つまり壱岐島の姫神である。なぜ活島姫と書かなかったかは、編者に訊いてほしい。
記の場合には、市寸嶋比賣の亦名に(対馬の亦名の)“狭依毘賣”が挙げられセットになっている。狭依毘賣とは、国生み神話にある「次に津島を生みき。亦の名は天之狭手依比賣と謂ふ。」の狭手依比賣が省略された形である。
後者の紀では、瀛津嶋姫の亦名に市杵(壱岐)嶋姫が載る。この場合、瀛津嶋とは、九州から見てより沖にある(神々の島としての)対馬の意味を持たせている。その亦名として壱岐を挙げ、同島もまた同じ神の島であることを示したものだ。
ただし、読み方によっては、紀は神々が住む高天原のある島として瀛津嶋と用い、それが何処だか皆に分らせるために、亦名でそれは壱岐ですよ、と書いた可能性もある。となると対馬は何処に、ということになろう。
3)仙人が住む瀛津嶋
“”瀛〟を使ったには特別な意味がある。学研刊の漢字源には、「瀛洲とは中国の伝説にある三神山の一つ。東海(渤海)中にあって仙人が住むという。“海中有三神山、名曰蓬莱・方丈・瀛洲、僊人居之”(史記・秦始皇)」とある。この文献を踏まえて、紀は対馬に瀛洲=仙人島のイメージを持たせたのだ。
瀛津嶋を対馬とすると、記には奥津嶋比賣と狭依毘賣と対馬神がダブッて記載されているようにみえる。しかし、それは記が、“瀛”を使った原典の意味を理解せず、瀛を奥に書き換えたから。瀛津嶋を宗像の沖の島と誤解したのだ。だから、後続文に多紀理毘賣は胸形の奥津宮に坐すと記す。記が認識する対馬神は狭依毘賣だけなのだ。
これら宗像の3女神は、天国の各島に残した祖先神を遥拝するために九州へ勧進されてきた神々であろう。これら島々の神が姫命であることに注目がいる。前回述べたようにカミムスヒ・タカミムスヒ・アマテルなど天国の主神はすべて女神なのである。したがって、角杙・活杙も女神のコンビだろう。
4)天津日子根と活津日子根
この3女神誕生に続くスサノヲのウケヒでは、天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命が生まれる(記)。ここでも2島コンビが見られる。天津日子根は対馬の、活津日子根が壱岐の男神である。あるいは、その時代の首長職名だろう。
ツノクイ・イククイの神とは、狭依毘賣や市寸嶋比賣が、あるいは天照や高ミムスヒが崇拝した祖先女神であり、当然縄文期の航海の神であったろう。お陰をこうむり、九州や出雲へ渡ることができ、天国の勢力拡大が可能になったのだ。
日本の各地に、こんな生活を支援する咋の神々がいらっしゃったはずなのに、記録に残らなかったのがさみしい。
(神世7代のコンビ神 前編終)
これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集~第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一~十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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