如意宝珠 書評『中国から見た日本の古代─新しい古代史像を探る』
会員からのお便り
如意宝珠
福岡市 大原和司
福岡の大原です。お久しぶりです。今回の古田史学会報(No.五九)、古賀さんの論文にはとても感動しました。まず驚いたのは、香椎宮縁起にも九州年号があるということです。宇佐八幡の史料に書いてあるんですね?香椎宮の現存する縁起書にも、九州年号があるのでしょうか?今度調べてみようと思います。
もう一つ驚いたのは、如意宝珠です。(これは彦山権現と、宇佐八幡、どちらにあると書いてあるんでしょうか?ちょっとわかりませんでしたが・・・。)これは五三四年に持ち込んだということは、時代的にみて随書に書かれている如意宝珠と同じものという可能性がありませんか?この時期に近畿地方に如意宝珠はあったのでしょうか?なかったとすれば、随書のイ妥*国が九州王朝であった傍証になりませんか?
なお、摩訶陀(マガダ)国の名称には感動しました。インドのマガダ国といえば、古くは有名なアショカ王のあの国ですよね。ブッダガヤもある。高校の世界史の授業を思い出しました。調べてみると五〇〇年ごろのマガダ国はグプタ朝の最盛期チャンドラグプタ2世の時代ですね。アジャンタとかエローラの石窟寺院が造られていた時代。まさに仏教の中心地ですね。
その時代に日本からインドに渡って如意宝珠を持ってきた人がいたんですねえ。後代の最澄や空海よりもスケールの大きな留学ですね。九州王朝は中国のみならず、インドまで留学生を派遣していたということでしょうか?
いやあ、夢の広がるいいお話でした。感動しましたのでメールしました。それでは、また。
PS.帰省の際は、ご連絡ください。忘年会、やりましょう。
あのあと、ネットで調べていたら、宝珠山村のHPにオモシロイのを見つけました。
http://www.vill.houshuyama.fukuoka.jp/history/index.html
それからもう一つ
http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/chimei-houshuyama.htm
みなさんはご存知なのでしょうか?八幡宇佐宮御託宣集に記載されているのはあきらかに岩屋神社の宝珠石のことですね。(如意宝珠は現存するんですね!)ただし、疑問点が少しあります。
1.岩屋に納められたという年
御託宣集では、五三四年となっているけれども、「岩屋神社の記録」(「岩屋神社来歴略記」というらしい)によると、五四七年(欽明天皇八年)となっているそうです。古田先生のおっしゃる「十二年のずれ」でしょうか?(推古朝よりはかなり早いですが・・)
御託宣集では、マガダ国から(彦山権現が?)持って来たことになっているが、「岩屋神社の記録」によると、空から降ってきたことになっていて、隕石ではないかと言われている。「安山岩質集塊岩」なんだそうです。魚のマナコとはだいぶ違ってそうです。
また、隋書には「鶏卵」の大きさだと書いてあったハズですが、この宝珠石は、もっとずっと大きなもののようです。(写真で見る限り)
3.関係国
御託宣集にはマガダ国由来とあり、当時の九州王朝と南朝の関係から考えると、海路、南朝経由でマガダ国に行ったのかと思いましたが。
このHPでは(出典不明)中国・北魏(後魏?)からの渡来僧・善正(ぜんしょう)が、修行場・英彦山(ひこさん)を開いた翌年の五三二年・継体(けいたい)天皇二六年に、宝珠山宝泉寺大宝院・岩屋三所大権現として開いたのが岩屋神社の始まりとされています。(これは、彦山権現の記録をまねして造作した話かも知れませんね。)
しかし、ぜひ、確認に行ってみたいと思いませんか?彦山?宝珠山は、修験道の尾根線を経て宝満山につながってますし、なにか九州王朝との関係のニオイがプンプンしますよね。「山沢」に隠れて「禁書」を持って最後まで抵抗した勢力は、「役の行者」に関係していたりして・・・。
いずれにせよ、今まで志賀島の金印以外、中国の史書に書かれている倭国の宝物は一切出土していないと思っていましたが(鏡を含めて)、もしかしたら、「如意宝珠」はこれかも!もしそうだとしたら、すごいことではありませんか?
《書評》 ミネルヴァ書房 シリーズ〈古代史の探究〉(5)
『中国から見た日本の古代─新しい古代史像を探る』
沈 仁安 著
藤田友治・藤田美代子訳/古田武彦解説
著者の沈仁安氏(北京大学前教授)は中国における日本史研究の第一人者である。古田史学にも注目され、正当な評価を下されていたことは本会報(No.五二)でも紹介したところ。記憶に新しい。その代表的著作『日本史研究序説』を初めとする論稿がついに邦訳され出版されたのが本書である。
訳者は本会会員の藤田友治氏と中国語に堪能な美代子夫人である。一読してその翻訳の労がしのばれた。まさに力訳である。中国における日本古代史研究の最先端を紹介するという、その業績は賞讃に値しよう。ともすれば難解な専門用語が解りやすく訳されており、訳者により付け加えられた挿入写真や巻末の索引は読者への手厚い配慮であろう。
内容は著者による日本人研究者への批判や解説、紹介なども含まれ、日本の研究状況をも知ることができ、有益だ。とりわけ、古田説の評価は適切である。著者は前書きにて次のように述べる。
“私にとって大変光栄なことに、拙著のために古田武彦先生が専門的な「解説」を書いてくださり、本書に光彩を与えてくださいました。(中略)先生は、日本の著名な古代史研究家です。古田史学は自ら体系をなし、学派をなしています。とりわけ高く評価されるべきは、古田先生が、終始変わらない学問の良識を守り、自己の学説を堅持し発展しておられることにあります。”
こうした著者の真摯な姿勢は、日本の学界がそろって古田説を無視するのとは対照的であり、これこそが世界の常識(世界標準)であり、正しくものを見る真の歴史家の目であろう。
本書のもう一つの特長は古田武彦氏による二〇頁にも及ぶ「解説」が付されていることだ。それは本書の解説に留まらず古田説の最新の紹介にもなっている。本会会員には嬉しい一文と言える。本書が日本において広く読まれることを願うものである。 (古賀達也)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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