放棄石造物と九州王朝 竹村順広(会報74号)
九州王朝万葉歌バスの旅 上田武(会報174号)
コバタケ珍道中(九州編)
木津川市 竹村順弘
十月六日(土)のハイキング例会のあと、その足で、小林さんと九州に遺跡巡りに行ってきました。
十月七日(日):山鹿市立博物館、チブサン古墳、オブサン古墳、鍋田横穴、歴史公園鞠智城・温故創生館、一本松公園、津袋大塚古墳、山鹿市出土文化財管理センター、方保田東原遺跡史跡公園、熊本県立装飾古墳館、岩原古墳群、長岩横穴、桜の上横穴群、菊水ロマン館。
十月八日(月):トンカラリン、和泉町歴史民俗資料館、江田船山古墳、石貫穴観音横穴、石貫ナギノ横穴群、大坊古墳、玉名市歴史民俗資料館、菊池神社歴史館、長砂連古墳、大戸鼻古墳群、姫石神社、永目神社のアコウ、大道鬼の釜古墳、本渡市立歴史民俗資料館、本渡市立天草切支丹館、明瀬平鬼塚古墳、道の駅 たのうら。
十月九日(火):ツル観察センター、指江古墳群、長島町歴史民俗資料館、小浜崎古墳群、明神古墳群、明神下岡遺跡、温之浦古墳群、阿久根市郷土資料館、可
愛山陵、川内市歴史資料館、薩摩国分寺跡、別府原古墳、高屋山上陵、和気神社、霧島神宮、城山公園。
十月十日(水):吾平山上陵、上野原遺跡、隼人町立歴史民俗資料館、鹿児島神宮、隼人塚、隼人町立隼人塚史跡館、大隅国分寺跡、姶良町歴史民俗資料館、建昌城跡、蒲生八幡神社、宮崎パーキングエリア(上り)。
十月十一日(木):常心塚古墳、松本塚古墳、都万神社、千畑古墳、西都市歴史民俗資料館、宮崎県立西都原考古博物館、西都原古墳群、鬼の窟古墳(206号墳)、石貫神社、太宰府展示館、志登支石墓群。
五泊六日の車中泊での強行軍でした。今回の旅行の中で気になったのが鞠智城です。現地の説明では、鞠智城は、六六三年の白村江の敗戦後、唐軍の来襲に備えて、大野城や基肄城と共に建設されたとしています。勿論、古田説に従えば、大野城や基肄城は、白村江以前に造られた倭京たる太宰府の防衛施設です。現地の説明では、鞠智城は、この大野城や基城の兵站基地とされてます。
装飾古墳館で上映された「鞠智城物語 防人たちの唄」(監督:三池崇史。出演:根津甚八の防人、石橋蓮司の藤原鎌足、大杉漣の天智天皇、江守徹の憶礼福留。ナレーター:竹中直人)では、城内に見張り櫓を建て、東国から防人として送り込まれてきた根津甚八がそこで警備に当たってました。その見張り櫓の後方から、八角楼の太鼓が時を打ってました。
この鞠智城の地に立って、周りを見渡すと、確かに若干小高い台地の上には建ってるけど、難攻不落の山城には思えません。大野城や基肄城の様な防御に適した急峻な斜面が続くような地形でもなく、溜池を使うような水の手に不安もあり、幾ら古代山城とは言え、とても戦闘を意識したような城ではないのではないかと感じました。大阪で言えば、上町台地に瀟洒な櫓を建てて篭城戦を続けるようなものと思います。石山本願寺や大阪城の様な、鉄壁な城砦設備もなしで。九州王朝の王族の離宮程度だったんでは?と、小林さんと駄弁ってました。
ところで、その上町台地に建つ前期難波宮に八角楼が二基建ってました。鞠智城にも八角楼跡が二箇所並んでます。復元した八角楼は、その二箇所の間に建ってます。実は、発掘報告によると、鞠智城には、七二棟の建物遺跡が発掘されてるんですが、そのうち、第三〇〜三三号建物が八角殿です(注1)。
この発掘報告では、三一号の備考欄に「三〇号より先行」とあります(注2)。そして、この三〇号は礎石を持つ最新版です(残りの三棟は掘っ立て柱式です)。時期は、第III期(八世紀末以降)とされてます。それに先行する三三号は、第II期(六九八〜八世紀後半)とされてます。さらに、三三号は三二号の建て替えとあります。つまり、第I期(七世紀中葉〜六九八年)の建物と言うことになります。三回に亘って建て替えてます。
八角建物に執着してます。前期難波宮の八角建物建設は、一回ぽっきりです。なんとなく、前期難波宮よりも八角建物の創案は、鞠智城の方が先行していると思うのですが、如何でしょうか? 第I期の推定年代は、白村江敗戦後と言う通説の呪縛で書かれてますが、この呪縛が外れれば、前期難波宮よりも建設が先行してても問題ないと思います。前期難波宮の建設には、九州王朝のコダワリが八角楼に反映されているのではないでしょうか?つまり、前期難波宮は九州王朝によって、建設されたんではないでしょうか?
注1 鞠智城跡 第二三次調査報告:熊本県立装飾古墳館分館歴史公園鞠智城・温故創生館:2003.3:P.50
注2 同:P.51の表中
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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