報告 半田「鑑定書」に対する批判 古田武彦 (野村孝彦氏紀行文と東日流外三郡誌には関連はない。)
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青森県藤崎町 藤本光幸
『東日流外三郡誌』をはじめとする「和田家文書」を和田喜八郎さんにより戦後偽作されたものであるとし、現在まだ和田さんによって創作されつつあるとする安本美典、野村孝彦ら偽書論者一派は、現在、和田喜八郎さんを仙台高裁に控訴して居ります。
一審は青森裁判所で争われ、控訴人は『東日流外三郡誌』に出ている耶馬台城の記事や「著書」に掲載された写真を、和田さんが剽窃したものだとして、著作権侵害で訴えたのですが、判決は写真の件は認めるが記事に関しては棄却すると云う、実質的には和田さんの「勝訴」でした。写真の件も編集段階での単純な取り違えが原因だったようです。
これを不服として相手側は仙台高裁に控訴したものなのです。控訴審では和田さんだけでなく、古田先生や私に対してまでも、ありもしない誹謗中傷を述べ、陳述書や準備書面で事実無根の名誉毀損的言辞を書き連ねて居りますので、古田史学の会の皆様に、いろいろあるのですが重要な二点についてご報告致します。
1. 野村陳述書に「『古田史学会報』は事情をよく知る人の間では裁判の証拠を作り出すために発刊されたものであると言う人もあり」と述べられているので、私はこれに対して「私も古田史学の会に参加しておりますが『古田史学会報』は野村氏がいうような裁判の証拠を作り出すために発刊されたものではなく真実の日本国の歴史解明の研究のためのものであることは、発刊以来の経過及び記載内容を検討されれば充分お分かりになることです。また、「事情をよく知る人」と言うのは誰のことでしょうか。野村氏の創作でしょう。」と反論しました。
2. 別の野村陳述書に「ここにいう勾玉や剣は偽物である。『祖先の開いた石塔山』『貴重な文献を書き遺してくれた祖先』は作り話である。」とありますが、これに対しては「何もご覧にもなっていない方が断定したり、御託宣を下されるのは、この裁判の野村氏側の一大特色のようですが、私を含めて数多くの人々が勾玉も剣も見ておりますが、その中で偽物と言った方はなく、石塔山も現実に存在しますし、文献も現在までの調査で四千八百十七冊卷あることが判明しており、これらについては現在着々と調査が進められております。」と反論しました。古田史学の会の中でも石塔山の大山祇神社に行かれた人達は既に現地石塔山、「和田家文書」、勾玉、剣、そ の他数々の秘宝を見て居られる事は否定する事が出来ません。
勾玉についてはその写真もありますし、私の知って居る限りでは日本国内で民間に存在するものでは最大の勾玉だと思います。
以上のように、和田さんをはじめ私達は真実や事実を述べて居るのに対して、控訴人野村孝彦氏こそ安本美典一派の偽書論者の人々と同じように「和田家文書」は和田さんが創作した偽書であるという間違った大前提に立って、内容の検証をする事もなしに、自らの思い込みによる一方的な推測と憶測による判断と自己主張をして居るものであり、これは正しい歴史の学問的方法ではありません。
<編集部>和田家収蔵物や和田末吉に関する貴重な発見と調査が現在進められているが、いずれ、詳細な報告がなされるであろう。
裁判関係の資料は以下の通り
報告 平成九年一〇月一四日 最高裁判所判決 付 上告趣意書(平成九年(オ)第一一四〇号 上告人 野村孝彦)
付録 資料和田家文書1 邪馬台城 総覧
和田家文書〔「東日流外三郡誌」など〕 訴訟の最終的決着について(『新古代学』第三集)へ
「『東日流外三郡誌』とは ーー和田家文書研究序説」(『新・古代学』第1集 東日流外三郡誌の世界)へ
知的犯罪の構造「偽作」論者の手口をめぐって(『新・古代学』第2集 和田家文書の検証)へ