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新・古典批判「二倍年暦」8
ローマの二倍年暦
京都市 古賀達也
古代ギリシアの哲学者達が軒並みの高齢であり、現在日本以上の長寿社会であることから、それら年齢表記は二倍年暦によるものとすることは既に述べてきた所である(注(1) )。そこで今回は古代帝国ローマにおける二倍年暦の痕跡を紹介する。
セネカ『人生の短さについて』の二倍年暦
ローマ帝政初期の政治家、セネカ(ルキウス・アンナウエス、前四頃〜後六五)の著書『人生の短さについて』に次のような年齢表記記事が見える。
「そこで、沢山の老人のなかの誰かひとりをつかまえて、こう言ってみたい。『あなたはすでに人間の最高の年齢に達しているように見受けられます。あなたには百年目の年が、いやそれ以上の年が迫っています。』
セネカ『人生の短さについて』(岩波文庫。茂手木元蔵訳、一九九三年第二五刷)
「沢山の老人のなかの誰かひとり」とあるように、ここに記された百才近くの超高齢老人は沢山の老人のなかの一人であり、他にも同年齢の老人がたくさんいる
ことを前提としての記事である。したがって、こうした百歳近くの老人の存在が一般的な現象というのは現在日本でも考えられないことから、この記事も二倍年暦による年齢表記であり、一倍年暦での五十歳ぐらいの「老人」のことと考えざるを得ず、それであれは当時としてもリーズナブルな年齢となる。
従って、セネカは二倍年暦でこの『人生の短さについて』を著しているのであり、当時のトップクラスの政治家であるセネカが二倍年暦を使用していたということは、当時のローマ帝国では二倍年暦が使用されていたと考えざるを得ないのである。少なくとも、人間の年齢表記は二倍年暦であったようである。ちなみに、セネカの父(マルクス・アンナウエス・セネカ)の生没年は前五五〜後四〇とされ、八四歳で没したこととなる(注(2) )。この高齢も当時の人間の寿命としては考えにくく、二倍年暦の可能性を高く有している。もし一倍年暦であれば、セネカは父が五一歳の時の子供となり、不可能ではないものの、やはり年齢的に違和感がある。この点も二倍年暦とすれば、無理なく解決できるのではあるまいか。
すでにこの頃のローマでは著名なユリウス暦が使用されていたと思われ、セネカによる二倍年暦の使用は一見矛盾したように見える。異なった暦の混在か、カレンダーと年齢表記で異なった暦が使用されていたケースが想定できるが、この点は『人生の短さについて』の分析からは明確にし難い。
キケロー『老年について』の二倍年暦
セネカよりも百年前の古代ローマの哲学者・政治家、キケロー(マルクス・トゥッリウス、前一〇六〜前四三)の著書に『老年について』があり、その中にも二倍年暦と考えられる高齢記事が散見できる。次の通りだ。
「聞くところによると、ブラトーンの老年がそのようなものであった。彼は八十一歳の時、書きながら死んだ。イソクラテースの老年もそうだ。彼は『パナテーナイア祭演説』と題する作品を九十四歳で書いたと言っているが、その後更に五年生きた。その師、レオンティーノイのゴルギアースは満百七歳を過ぎて、しかも研究でも仕事でも片時も怠ることがなかった。」
「マルクス・ウァレリウス・コルウィーヌなどは、既に十分に人生を生きた後で農地に住んで耕作に従い、百歳まで熱中し続けたと聞き及んでいる。この人の一度目と六度目の執政官職の間には四十六年が介在するから、先祖たちが老年の始まりと考えたそれだけの期間、彼は名誉公職の道を歩んでいたことになる。」
「物の本によれば、かつてガーデースにアルガントーニオスとかいう王がいて、八十年間君臨し、百二十歳まで生きたということだが」
キケロー『老年について』(岩波文庫。中務哲郎訳、二〇〇四年第一刷)
ここに記されたギリシアの哲学者はもとより、ローマの執政官の高齢も二倍年暦年と理解せざるを得ないであろう。そうすると四十六年間の執政官職期間も二倍年暦となり、執政官の在職年代に基づいた古代ローマの編年にまで二倍年暦の影響が及ぶ可能性を有すのである。
このキケローの『老年について』は古代ローマの政治家、大カトー(前二三四〜一四九)による対話編という形式を採っているのだが、この大カトーことマルクス・ポルキウス・カトーは八十歳で次男をもうけており、大カトーの年齢表記も同様に二倍年暦と考えざるを得ない。従って、セネカに先立つキケローもまた二倍年暦の世界に生きていたのである。そうすると、本稿で記した大カトーはもとよりセネカやキケローの生没年も二倍年暦による再検討を迫られよう。そして、ことは彼らの年齢にとどまらず、古代ローマ帝国史の絶対編年をも再検討を促すのである。
(注)
(1) 「ソクラテスの二倍年暦」古田史学会報 No.五四、二〇〇三年二月。
(2) セネカ『人生の短さについて』(岩波文庫。茂手木元蔵訳、一九九三年第二五刷)の解説による。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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