「大阪日日新聞」(六月十一日)より転載 本当の継体陵は・・・「史学の会」10周年記念 古田氏ら講演
古田史学会報 2004年 8月 8日 No.63
古田史学の会・創立十周年
記念講演会、会員総会ご挨拶
古田史学の会・代表 水野孝夫
会・代表の水野でございます。本日は古田史学の会・創立十周年記念講演会、会員総会に多数ご参加くださり、また会員方には、のちの会計報告にありますように、多額のカンパをお寄せいただきありがたく、厚く御礼申し上げます。代表と申しましても何も特権はございません。例えば、このご挨拶にしましても誰かが草稿を作ってくれる訳もなく、会場へ来る交通費も自弁。お手伝いいただいている役員方も、すべて同様でございます。会場費も入場料を頂き、なにかを販売して営利を図る条件での契約ではございません。会員方有志のカンパでまかなっている、すべて手作りの会でございます。
古田武彦先生は昨年夏に七十七歳の喜寿を迎えられました。これを記念して「古田史学いろは歌留多」というのを作成して、先生に贈りました。そのほんものを拝借して会場に展示しており。解説つきの冊子も並べておりますが、その句の中に「古田史学、結論じゃない、方法論」というのがあります。実はこの句の作者はわたしであり、選定の過程でこの句を選んだ責任者はわたしでありますから、ここに特権を行使したととれないわけではありません。古田先生の古代史に関する著書・第一号は『「邪馬台国」はなかった』ですが、この題名は本を売ろうとする出版元(および著者)の経済的な都合によって、端的に「結論」を示しています。しかし古田史学の本質で大切なのは、「結論」ではなくて、その結論を導いた「論証の過程」にあると考えます。最も信頼できる、証拠となる史料を追及し、それを理性の目にさらしつくして、結論を得る。論証されていない信念のようなもの、例えば、前首相の「日本は天皇を中心とする神の国」のような、ある期間にはあてはまっても、古代まであてはまるかどうか論証されていない信念を基礎にはしない、という方法論であります。
しかし、証拠が新たに発見されたり、理性の目(客観的または科学的な考え方と言い換えられると思う)と思ったものに感情が混じっていて、あるいは納期の都合で、あとで結論が変わるということはあり得るはずです。実際に『「邪馬台国」はなかった』の中の部分結論でも、例えば、一大卒というのは「ひとつの大きな軍団」という解釈から「一大国の軍団」の解釈に変更されています。ですからわたしは、会の運営において、会員がたの発言や投稿が、古田先生の「結論」と違うからといって、反対したり、投稿を採用しないなどは致しておりません。今後とも会の活動にご協力賜りますよう、お願い申し上げます。
祝辞
「多元的古代」研究会・関東
会長 高田かつ子様
古田史学の会、十周年 おめでとうございます。
同じ志を持った私達、「多元的古代」研究会・関東(略称 多元の会)も同じ時期、同じ経緯を経て会を創立いたしました。感慨深いものがあります。
古田先生から迸り出た「歴史を多元的に観る」という一滴のしたたりが、何時しか、せせらぎとなり、小川となり、今や、とうとうたる大河の流れになろうとしています。しかし、いまだに九州王朝を知らず、迷妄の歴史にさ迷っていた人があまりにも多い現状です。また、古田史学に脅威を感じて、妨害を企んでいる人々も多くいることもまた事実です。
私たち一人々々は大河の一滴にすぎませんが、やがて海に流れ出て、全世界に真実の歴史の姿を広める責任があります。十年という節目、これからが正念場だと思います。姉妹団体としての古田史学の会の存在を頼もしく思っております。期待しております。ますますの御発展をお祈りして。
祝辞
古田武彦と古代史を研究する会
(略称 東京古田会)
会長 藤沢徹様
古田史学の会創立十周年を迎えるにあたり、古田武彦と古代史を研究する会、略称「東京古田会」を代表し、お祝いを申し上げます。
古田武彦先生の研究活動を支援し、先生の業績を継承発展させ、後世に伝えることを目的とされる貴会の活動は、私ども「古田武彦と古代史を研究する会」と志を同じくするものであります。貴会とは、今まで同様今後とも、友好関係を保ち、切磋琢磨して行く所存であります。
当会も創立25周年を迎える折、貴会のますますなる発展を心から祈念し祝辞とさせていただきます。
古田史学の会 創立十周年のお祝い
市民古代史の会・青森 会長 鶴賀泰美様
古田史学の会「創立十周年」おめでとうございます。
「古田史学の会」を1994年に設立されてから10年間。古田先生はじめとして水野代表・古賀事務局長には、これまでの古田史学の振興に対するご尽力、並びに会の組織運営に対するご苦労に、深甚なる敬意を表します。
「古田史学の会」の足跡と学問的深化
は、六二号にもなる「古田史学会報」や「古田史学論文集」に顕著だと思います「古田史学の会」の会員の方々にも改めて敬意を表するとともに、「古田史学の会」のますますご発展を、津軽の地よりお祈り申し上げます。
古田先生のご長寿と会の発展をお祈りします
古田史学の会・まつもと
昨年、シベリアへ学術調査に赴かれた古田武彦先生は、思いがけない顔面麻痺を経験なさいました。その時、帰国して治療を勧める人に「今、この仕事を続ける。たとえ死んでも悔いはない」と仰言ったと聞きました。感動し、戦慄を覚えました。
学問に対するこの情熱、気迫、執念。私共は頭をガンと殴られたような気がいたしました。古田先生の真実を求めて止まらない信念に改めて心から敬意を捧げます。そして先生の聲咳に接し、探求の成果をご教示いただけることに無上の幸せを感じるものです。
古田史学の会十周年を機に古田先生のご長寿とご研究の進展及び会の益々の発展を信州・松本の地からお祈り申し上げます。古田先生と古田史学の会万歳!!
祝辞
古田史学の会・北海道
会員御一同様
古田史学の会十周年記念講演会の開催を心からお慶び申し上げます。
十年前のこの時期、古賀達也事務局長の一通のお電話で「古田史学の会」への参加を呼びかけられ、「北海道の会」はそこから始まりました。地域の会のどこよりも早く、九四年六月十九日に私たちの会の「例会」が開かれ、初対面の会員が大半だったにもかかわらず、数十年来の友人のように語り合ったことが昨日のように思い出されます。
以降、毎年夏には古田先生をお迎えして講演会を開催、それを軸に、相次ぎ新たな会員が加わりました。月2回の集まりを持ち、先生の著作をはじめ、古事記、日本書紀、万葉集などの読書会や、縄文の王国・北海道の遺跡めぐり、会員の専門家を講師にしての考古学レクチャー、会報の発行など、歴史の真実に対する新しい視点を確かなものにしながら、様々な活動を志して参りました。また、会員全員でこの十年にわたり、記紀以来千三百年にしてようやく私たちが得た「古田史学体系」の意味を噛みしめてきました。
わが国の歴史学会の現状は悲惨そのものですが、私達はそうした歴史の現状に対する過剰な絶望も、過剰な希望も無縁であり、先生が提唱された方法論によって、ただひたすら地道に学習することこそが未来を拓くのだと信じています。そのことを証かすために、私たちの集まりがあるのではないでしょうか。
十年の間には、先生や古賀事務局長とご一緒しての遺跡見学も数度に及び、古賀事務局長の講演会も開催、事務局でご活躍の木村氏が講演会に参加されるなど、数多くの楽しい思い出があります。先月には、松本郁子さんの研究発表会も開催させていただきました。また、友好団体である多元的古代・関東の北海道遺跡見学旅行の折に交流を持ち、友情を深めたこともありました。創刊号から第4号まで、『古代に真実を求めて』の編集をお引き受けしたこともあり、それらすべての経験が私達会員の貴重な「財産」になっております。
先生の北海道講演会は一時停止のやむなきに至りましたが、先生をはじめ、全国の会員の皆様が私たちの会の心の支えであることに変わりはありません。
私たちの会は昨年、皆様より一足早く「北海道の会創立十年記念例会」を開催しましたが、今日のこの「十周年記念講演会」開催を節目のスプリングボードとして、古田史学の会がさらに着実な歩みを続けられるよう祈念してやみません。
終わりに、私たちは毎月の第2土曜日と第4日曜日にささやかな集まりを札幌で持っておりますが、会員諸兄姉がご来道の折は、ぜひいらしていただき、種々ご教授くださいますようようお願いして、お祝いの言葉に代えさせていただきます。
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〔編集部〕
創立十周年記念講演会に各会よりお祝辞をいただきました。当日は時間の関係により、その全てを読み上げることが出来ませんでしたので、会報に転載し、ご紹介させていただきました。まことに有り難うございました。
「大阪日日新聞」(六月十一日)より転載
本当の継体陵は・・・
「史学の会」10周年記念 古田氏ら講演
●北区
古代史研究家、古田武彦氏とともに古代史を研究する「古田史学の会」(水野孝夫代表)は、創立十周年の記念講演会を六日、北区の大阪,市中央公会堂で開いた。会員らが研究発表などを披露したほか、古田氏が「原初的宗教の史料批判」と題して特別講演を行った。
古田氏は、茨木市の継体天皇陵と高槻市の今城塚古墳に真偽について触れ「文献の史料批判の目から見たらアウトである」と指摘した。
その理由として『古事記』『日本書紀』には継体陵の場所は『あい』と書いてある。茨木市の安威川の西側には『安威』という地名が残っており、継体陵のある東側は『あい』と言わない。後の平安時代にできた『延喜式』には、継体陵の場所は広義に『嶋上郡』書いてある」など、さまざまな点を挙げた。
そして「継体陵は阿威神社(茨木市安威三丁目)付近に小さな古墳がいくつかあり、その中のどれかではないか」と仮設を述べた。
約二百人の参加者は身振り手振りを交えて熱弁を振るい、独自の理論を展開する古田氏の言葉に、感心しながら熱心に耳を傾けていた。このほか、記念講演会では同会の水野孝夫代表が基調報告、同会の古賀達也事務局長ら会員が研究発表、元新聞記者の内倉武久氏が記念講演を行った。(杉本康記者)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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