2004年10月12日

古田史学会報

64号

批判のルール
-- 飯田・今井氏に答える
 古田武彦

原文改定と菅政友
 冨川ケイ子

マヤの二六〇日暦
 大下隆司

秋田孝季の中近東歴訪
と和田家文書の謎
 斎田幸雄

大年神と二人のスサノヲ
記紀の神々の出自を探る
 西井健一郎

6本居宣長
『玉勝間』の九州年号
 古賀達也

7『 彩神』第十話
 若草の賦5
 深津栄美

文化創造倶楽部
・古代史・歴史塾
 木村賢司

聖徳太子の虚像
 合田洋一さん
海のロマンと日本の古代済
 事務局便り

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新・古典批判「二倍年暦の世界」 7 アイヌの二倍年暦 古賀達也(会報60号)

マヤの二六〇日暦について 大下隆司 (会報64号)


マヤの二六〇日暦について

豊中市 大下隆司

 古代の中央アメリカでは、我々が使っている一年・十二ヶ月・三六五日とは違った暦が使われていました。また、今から五一一八年前を基準年とする独自の長期暦を使い、彼らの歴史上の編年を確実に記録していました。この暦は十六世紀のスペイン人の征服後急速に消えてゆきましたが、一部地域ではその後も引き続き使われ、今も知っている人たちが残っているとつたえられています。以下紹介します。 
 マヤは紀元前四〇〇年頃に起こり、紀元二五〇年から一二〇〇年頃にユカタン半島からグアテマラにかけて最盛期を迎えました。
 その暦は、(1) 二六〇日暦、(2) 三六五日暦、(3) 長期暦、の3種類からなり二〇進法をベースにしています。またゼロをすでに紀元前から使いその高度な数学は当時の世界のレベルをはるかに越えていました。

(1) 二六〇日暦
 主に日常生活に使われていました。この暦の起源は紀元前一千年ごろで、マヤ以前の中央アメリカで広く使われていたと云われています。一年は二六〇日で、一日から始まり二六〇日で終わります。この暦には月という概念はありません。一日から二六〇日まで、それぞれの日の表示を十三の数字と二十の文字とで組合せ、続けてゆきます。一イミッシュという組合せが年の第一日目で、一年の終わりはこれの組合せの終了する十三アハウで二六〇日目の最終日となります。
(2) 三六五日暦
 この暦は我々の暦と同じで月と日で構成されます。違うのは一ヶ月の日数で二〇日です。二〇日の月が十八ヶ月で三六〇日、そして五日の月が一つで、合計三六五日となります。
〈カレンダー・ラウンド〉
 また二六〇日暦と三六五日暦を組合せて、五二年周期のカレンダー・ラウンドというものを作っています。これは十干十二支のようなものです。二六〇日と三六五日の最小公倍数十八、九八〇日で五二年となります。
(3) 長期暦
 西暦がキリスト誕生を基準年にしたように、マヤもある日を基準に五一二九年を周期とする絶対年暦を作成していました。(紀元前三一一四年八月十一日が基準年)

「マヤやその他の中央アメリカ文明の母体」ともいわれているオルメカの遺跡からも紀元前三一年を表すこの暦の碑文が発見されています。

 三つの暦の中で二六〇日暦が占いや儀式など、生活に密着したものに使われ、これらの中でもっとも古いものと考えられています。
 中央アメリカの人々は我々が固定観念としているキリスト暦とはまったく違った体系の暦を使っていました。古代においては、南太平洋の二〇〇日暦や、日本の「二倍年暦」など、世界のそれぞれの地域ではいろいろな暦が使われていたと考えられます。

マヤ暦の数え方とそれぞれの月 大下隆司 マヤの二六〇日暦について 古田史学会報64号


 これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集〜第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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