2004年10月12日

古田史学会報

64号

批判のルール
-- 飯田・今井氏に答える
 古田武彦

原文改定と菅政友
 冨川ケイ子

マヤの二六〇日暦
 大下隆司

秋田孝季の中近東歴訪
と和田家文書の謎
 斎田幸雄

大年神と二人のスサノヲ
記紀の神々の出自を探る
 西井健一郎

6本居宣長
『玉勝間』の九州年号
 古賀達也

7『 彩神』第十話
 若草の賦5
 深津栄美

文化創造倶楽部
・古代史・歴史塾
 木村賢司

聖徳太子の虚像
 合田洋一さん
海のロマンと日本の古代済
 事務局便り

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伊予の古代史正す「聖徳太子の虚像 道後来湯説の真実」の著者 合田洋一さん(63),海のロマンと日本の古代,事務局便り

古田史学会報No.64 2004年 10月12日
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毎日新聞(9月25日)ひと 人 えひめ

「伊予の古代史正す」

「聖徳太子の虚像 道後来湯説の真実」の著者

合田洋一さん(63)

「道後温泉を訪れたのは、聖徳太子ではなく、九州王朝の権力者だった」。衝撃的な古代史説を展開する「聖徳太子の虚像 道後来湯説の真実」(創風社出版)を著した合田洋一さん(63)は、「伊予の古代史のゆがみを正す」と言い切る。  【伊藤伸之輔】

 ーー本の内容を教えてください。
 伊予の歴史を記した「伊予国風土記」(8世紀)に「法王大王が道後温泉に来た」との内容が書かれており、聖徳太子が道後温泉を訪れたとされてきました。私は今回の本で、「『邪馬台国』はなかった」などの著作で知られる歴史学者、古田武彦・元昭和薬科大教授の学説を基に、奈良時代の日本には大和朝廷だけでなく九州を中心とする別の王朝があったとの説を展開。その上で、聖徳太子は架空の人物であり、道後温泉に来たのは九州王朝の権力者「多利思北孤たりしほこ」だと確信しました。

 ーーその根拠は。
 奈良県・法隆寺の本尊「釈迦三尊像」に刻まれた銘文などから、聖徳太子は実在しなかったと考えます。また、中国・隋の時代の歴史を記した「隋書」の「イ妥国伝たいこくでん」の記述などから、九州王朝の存在を確認しました。「伊予国風土記」を解釈した結果、奈良時代の伊予が九州王朝の勢力圏だったことが分かり、道後温泉に来た人物はその権力者だったとの結論に行き着いたのです。

 ーーこの本を書いたきっかけは。
 01年に道後温泉の第3の外湯として「太子の湯」を造る計画がありました。私は聖徳太子は実在しないと確信していたので、誤った歴史に基づいて外湯の名前を決めてはいけないと考え、道後の真実の歴史をこの本にまとめたのです。

 ーーこの本を誰に読んでほしいですか。
 まず道後地区に住む人にです。道後温泉を訪れた「法王大王」とは、多利思北孤であり、かつて九州に王朝があったとする古代史説を発信していきたいです。

ひと 人 えひめ

「聖徳太子の虚像  道後来湯説の真実」の著者
合田洋一さん(63)
 メモ 1941年8月、北海道江差町出身。65年、明治大文学部を卒業し、71年から松山市に住む。01年、古田武彦氏の著作に感銘を受け、健康食品販売会社を経営する傍ら、日本古代史の研究を続けてきた。道後温泉誇れるまちづくり推進協議委員、伊予史談会員、古田史学の会全国世話人を務める。

伊予の古代史正す 合田洋一 毎日新聞2004年9月25日 古田史学会報64号


古田先生を囲むセミナーの案内

海のロマンと日本の古代 済み

古田武彦先生を囲んで

主催 財団法人 大学セミナー・ハウス
日程 二〇〇四年十一月十三日(土)〜十四日(日)一泊二日
場所 大学セミナー・ハウス(東京都八王子市下柚木1987-1)
趣旨
 「目から鱗が落ちる」という言葉がある。古田先生の著書を読むと、久しく忘れていたそんな言葉を思い出す。
 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」は聖徳太子の事績である。倭の五王は大和朝廷の天皇である。白村江へ出兵したのは大和朝廷である。これらは長い間、歴史の教科書に揺るぎない「史実」であるかのように記述され、国民的常識として信じられてきた。しかし、古田武彦先生の『「邪馬台国」はなかった』をはじめとする日本古代史の論理的・科学的研究は、これらの「史実」の数々が実は砂上の楼閣に過ぎないことを次々と容赦なく解明して私達を驚かせている。
 隠岐島産の黒曜石で作られた鏃が出雲とウラジオストック両方から出土するという事実は、縄文時代に出雲とウラジオストックの間に海を隔てた交流があったことを意味し、「国引き伝説」が史実としてクローズアップされてくる。「天照大神はどこにいたか」「天孫降臨はどこで行われたか」・・・。これらの神話も海にまつわる史実に基づいていて、海洋国日本の古代史は文字通り「海のロマン」である。

 先日、太宰府を訪れ「都督府古趾」の碑の前に立つ機会を得た。中国の天子から「都督」の称号を与えられた「倭の五王」がここに王朝を構え、国際的に日本列島を代表する政権として認知されていたということが史実として実感できた。更に、須久岡本遺跡や前原遺跡群、水城や神籠石をはじめとする古代史の遺跡を訪ね歩き、神武発進の地「日向峠」を越えてみて、九州こそが古代日本の中心地であるとの思いを強くした。
 古田先生を囲むセミナーで、日本古代史を論理的・科学的に解明する方法を学び、目から鱗を落として、歴史学の新たな地平に立ってみませんか。(荻上紘一)

プログラム
本セミナーでは、次の三つのテーマを取り上げます。
1、国引き伝説と出雲王朝
2、天孫降臨と九州王朝
3、古代日本の国際交流

募集要項
※特に日本古代史の研究を志す若き学究の徒を歓迎します
◇日程 十一月十三日(土)十三時三〇分受付。十四日(日)十六時四〇分閉会。
◇参加費 18,900円(税込、宿泊・食事代・資料代を含む)、学生割引10,500円
◇お問合せ先 財団法人 大学セミナー・ハウス 企画広報課
TEL 0426-76-8532(直通)8511(代表)
FAX 0426-76-1220
E-mail kikaku-koho@seminarhouse.or.jp主催 財団法人大学セミナー・ハウス
日程 二〇〇四年十一月十三日(土)?
   十四日(日)一泊二日
場所 大学セミナー・ハウス
   (東京都八王子市下柚木1987-1)
趣旨
 「目から鱗が落ちる」という言葉がある。古田先生の著書を読むと、久しく忘れていたそんな言葉を思い出す。
 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」は聖徳太子の事績である。倭の五王は大和朝廷の天皇である。白村江へ出兵したのは大和朝廷である。これらは長い間、歴史の教科書に揺るぎない「史実」であるかのように記述され、国民的常識として信じられてきた。しかし、古田武彦先生の『「邪馬台国」はなかった』をはじめとする日本古代史の論理的・科学的研究は、これらの「史実」の数々が実は砂上の楼閣に過ぎないことを次々と容赦なく解明して私達を驚かせている。
 隠岐島産の黒曜石で作られた鏃が出雲とウラジオストック両方から出土するという事実は、縄文時代に出雲とウラジオストックの間に海を隔てた交流があったことを意味し、「国引き伝説」が史実としてクローズアップされてくる。「天照大神はどこにいたか」「天孫降臨はどこで行われたか」・・・。これらの神話も海にまつわる史実に基づいていて、海洋国日本の古代史は文字通り「海のロマン」である。


事務局便り

▼本会全国世話人の合田洋一さんの著書『聖徳太子の虚像─道後来湯説の真実』が注目されている。朝日・毎日の愛媛県版でも大きく取り上げられた。毎日新聞(九月二五日)を左に転載した。記事中、「奈良時代」とあるのは取材記者のミス。
▼多元の会・関東主催の法隆寺移築シンポに関西より飯田と古賀がパネラーとして出席。盛況であった。これで結論が出たわけではない。本格的な論争のスタートが期待される。
▼古田先生のご病状も順調に回復に向かっておられるようで、日本思想史学会(京大)や大学セミナーハウスなど多方面での活躍を再開された。幸いにも本会関西の新年講演会にも御出席いただけそうである。
▼『古代に真実を求めて』八集の編集会議を行い、採用稿の審査を行った。来年三月の発行を目指す。古田講演の採録数も増える見込み。ご期待下さい。
▼九月の関西例会で冨川さんの新発見が発表された。明治二五年に「九州王朝説」が初歩的ではあるが発表されていたというもの。会報次号で紹介予定だが、例会への聴講者が更に増えることを期待したい。
▼台風や地震、火山噴火など天変地妖が続く。学問や政治の荒廃に対する天の怒りか。被災会員にお見舞い申し上げます。


 これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第一集〜第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜十集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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