2005年12月 8日

古田史学会報

71号

1宣言
新東方史学会設立
 古田武彦
会長に中島嶺雄氏
 事務局

和田家文書による
『天皇記』『国記』
及び日本の古代史
考察1
 藤本光幸

筑後風土記
の中の「山」
 西村秀己


壬申の乱に就いての考察
 飯田満麿

5私考・彦島物語 I 
筑紫日向の探索
 西井健一郎

6【転載】
『東かがわ市歴史民俗資料館友の会だより』第十九号
平成十七年度にあたって
 池田泰造

なにわ男の
「旅の恥はかき捨て」
 木村賢司

古層の神名
 古賀達也

『和田家資料3』
--藤本光幸さんを弔う
 古田武彦

10浦島太郎
の御子孫が講演
事務局便り

 

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鶴見山古墳出土石人の証言 古賀達也(会報70号)

「元壬子年」木簡の論理 古賀達也(会報75号)

市民タイムス 平成17年7月1日より転載 神々の亡命地・信州 -- 古代文明の衝突と興亡 古賀達也(会報70号)


『新・古代学の扉』「古賀事務局長の洛中洛外日記」より転載

古層の神名

京都市 古賀達也

第四〇話 2005/10/29
古層の神名「ち」

 白川靜さん(立命館大学名誉教授・京都市在住)が字書三部作(『字統』『字訓』『字通』)を十三年半の歳月をかけて完成させたのは、一九九七年の頃だったと思いますが、本年十月十五日の京都市自治記念式典に於いて、名誉市民の称号が贈られました。明治四三年生まれの九五歳。お元気で何よりです。
 白川さんの字書には古代史の研究でお世話になったことがあります。『史記』に「魑魅(ちみ)を御(ぎょ)す」とありますが、この魑魅とは「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」の魑魅です。古田先生の考えによ
ると、これは『古事記』『日本書紀』の神名に見える「ち」と「み」ではないかということです。
 神様の名前には、イザナミやオオヤマヅミのように「み」を名乗る神様と、ヤマタノオロチ、テナヅチ、アシナヅチ、オオナムチ、ミズチのように「ち」を名乗る神様があり、「ち」が「み」よりも古層の神名であることが、先学の研究により明かとなっています。この「ち」と「み」が魑魅の語源と共通するのではないかということなのです。
 ですから「魑魅を御す」とは東夷の神々とそれを祀る民を服属させたという意味があるのではないかと考えられます。ところが、先の白川さんの研究によれば「御」の本来の字義は「祀る」とのこと。とすれば、「魑魅を御す」とは東夷の神々を祀ったという意味にもとれます。日本列島の神名と思われるものが中国史書に現れるという、面白いテーマではないでしょうか。

 

第四一話 2005/10/30
古層の神名「け」

 「ち」の神様と同様に、あるいは更に古い神名に「け」の神様があります。これも、古田先生の考察によるものですが、オバケ、モノノケや『東日流外三郡誌』に見える津保化族のツボケも「け」の神様と思われます。「ボケ」とかの罵倒語もこの「け」の神名に由来するのではないでしょうか。すなわち、侵略された側の古い神々が差別され、罵倒語として侵略者の側で使用されるというケースです。もしかすると、ホトケという言葉も仏教伝来時に異国の「陰神」という意味で日本列島側で付けられた名称かもしれませんね。
 この神様を「け」と呼んだのはどのような人々でいつの時代でしょうか。わたしにはひとつのアイデアがあります。まだ、未検証の思いつきに過ぎませんのであまり信用しないでほしいのですが、北部九州で縄文水田を作った人々ではなかったでしょうか。というのも、有名な北部九州の縄文水田に菜畑遺跡(唐津市)と板付遺跡(福岡市博多区)がありますが、どちらもナバタケ、イタヅケと「け」がついています。また、同じく縄文水田有田七田前遺跡が近隣にある吉武遺跡群(弥生の宮殿や最古の王墓・福岡市早良区)もヨシタケで「け」がついています。
 これらは偶然でしょうか。そうではなく、「け」の神様を地名にもった地域で縄文水田が作られたと考えるべきではないでしょうか。もし、この推測が正しければ、縄文水田の神々は「け」の神様だった。そうならないでしょうか。各地名の起源調査などを行っていませんから、今は単なる思いつきに過ぎませんが、ちょっと魅力的なアイデアではないでしょうか。

 

第四二話 2005/11/04
古層の神名「そ」

 「ち」や「け」の神様と共に、古田先生は「そ」の神様の存在も提起されています。阿蘇山や浅茅湾(対馬)、木曽などの地名に残っているアソやキソ、熊襲のクマソなどがその例として上げられています。特にアソやアソウの地名は全国に多数有ります。この他にも、「社」の読みにコソがあり、姫社(ヒメコソ)などの例が著名です(『肥前国風土記』)。ちょっと汚い例ですがクソも、この神名に関係ありそうです。
 ただ、この「そ」の神様の場合、「ち」や「け」と異なって、はっきりと「〜ソ」とわかる形で神名に残されていないように思います。もし、あれば教えて下さい。逆に言えば、それだけ古い神様なのかもしれません。
 最後に、この「そ」の神名についても、わたしは面白いアイデアを持っています。それは、日本の古称の一つである扶桑もフソという神名が語源ではないかというアイデアです。古代日本列島の人々がフソと神様を呼んでいたのを中国人が聞いて、扶桑という漢字を当てたのではないでしょうか。ただし、これは論証抜きの全くの思いつきですので、信用しないで聞き流していただいて結構です。

 

第四三話 2005/11/07
古層の神名「くい」

 大山咋や三島溝咋など「くい」を持つ神名もあります。地名などにも羽咋・名久井岳・福井・鯉喰などがあります。この神名クイは大陸側にいるクイ族との関係が考えられますが、古代日本列島と大陸との交流が頻繁だった証拠かもしれませんね。
 この神名「くい」についは、古田先生とのちょっとした思い出がありますので、ご紹介しましょう。津軽の和田家文書調査で古田先生とご一緒したとき、車中でクイ神が話題となりました。そのおり、当時サリン事件などで問題となっていた某宗教団体の施設がある上九一色村について、古田先生がこの村名はカミク・イッシキ村ではなく、カミ・クイ・シキ村であり、クイを含んだ地名ではないだろうかと言われました。わたしは、なるほどと思いました。
 これだけの会話でしたが、後は某教団の仏教理解に対するマスコミの反論がお粗末ではないか、というような話題が続いた記憶があります。もともと古田先生は親鸞研究の専門家なので、なかなか説得力のある思想史的考察をわたし一人でお聞きする機会を得ました。
 さて、「ち」「け」「そ」「くい」と古層の神名をテーマとしてきましたが、この件、もう少しお付き合い下さい。

 

 第四四話 2005/11/08
 「そ」の神様・読者からのメイル

 十一月六日、名古屋市公会堂で講演をさせていただきました(古田史学の会・東海主催)。終了後の懇親会も含めて楽しい一日でした。テーマは予定していた「九州王朝の近江遷都」の他に、「稲員家系図の紹介」と「古層の神名─出雲神話の史料批判─」を急遽付け加えました。特に「古層の神名─出雲神話の史料批判─」は前々日の金曜日の夜に気づいた問題で、この時初めて発表したものです。
 そして、「そ」の神様について参加者から、「石上神社」のイソノカミも一例ではないかと、貴重な示唆をいただきました。また、帰宅すると何人かの読者の方からメイルが届いており、「そ」の神様について多くの情報が寄せられていました。ありがとうございました。その中から、第九話「明治時代の九州年号研究」で紹介しました冨川ケイ子さん(本会会員・相模原市)からのメイルを転載します。大変参考になる知見です。

古賀達也様
 「洛中洛外日記」楽しく拝読しております。
 ところで、「そ」の神は、延喜式を見ただけでも、「ひめこそ」神社のほかに、「はむこそ」神社、「あまみこそ」神社、「いそ」神社、「をこそ」神社、「そらひこ」神社など、たくさんの「そ」の神がいると思いますが…。
 人名では、ヤマトトトヒモモソ姫が著名ですが、そのほかにも孝昭天皇の皇后に世襲足姫(ヨソタラシ)という人がいて、瀛津世襲(オキツヨソ)の妹とあり、崇神紀に蘇那曷叱知(ソナカシチ)、景行紀に神夏礒媛(カムナツソ)、神功紀に葛城襲津彦(ソツヒコ)、推古紀に蘇因高(ソインコウ)、そしてもちろん蘇我氏。変わったところでは、筑前国嶋郡川辺里戸籍の冒頭に、卜部乃母曾(ノモソ)がいました。なお、「続日本紀」(天平十一年正月ほか)に「倭武助」という人の「やまとのむそ」という読みが以前から気にかかっています。       冨川ケイ子


第四五話 2005/11/09
古層の神名「くま」

 わたしの故郷、久留米市には神代と書いてクマシロと読む地名があります。クマという音に神という字を当てられていることから、神様のことをクマと呼んでいた時代や人々のあったことがうかがえます。
 地名でも熊本や球磨・千曲・阿武隈・熊毛・熊野などその他多数のクマが見られます。これら全てが神名のクマを意味していたのかは判りませんが、球磨や熊本などは熊襲との関係から、神名のクマの可能性大です。とすれば、熊襲の場合、クマもソも古層の神名となり、これはただならぬ名称ではないでしょうか。記紀では野蛮な未服の民のような扱いを受けていますが、実はより古い由緒有る部族名のように思われます。
『日本書紀』神功紀には千熊長彦や羽白熊鷲などクマのつく人名が見えます。これらも神名クマに由来していたのではないでしょうか。
 このように考えてみると、球磨川は神様の川となり、熊笹は神様の笹、動物の熊は神様そのもの、ということになるのかも。これも面白そうなテーマです。どなたか本格的に研究されてみてはいかがでしょうか。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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