meta name="description" content="古田史学会報88号 2008年10月15日,ホームページ『新・古代学の扉』「古賀事務局長の洛中洛外日記」より 『日本書紀』の西村命題 第184話 2008/08/10 古賀達也,何故、日本書紀が今のような内容になったのか" /> ホームページ『新・古代学の扉』「古賀事務局長の洛中洛外日記」より 『日本書紀』の西村命題 第184話 2008/08/10 古賀達也

2008年10月15日

古田史学会報

88号

生涯最後の実験
 古田武彦

2「藤原宮」と
大化の改新についてII
皇極紀における「造宮」記事
 正木裕

「バルディビアの旅」
 その後
 大下隆司

4古田史学
「林間雑論会」実施報告
 木村賢司

菅江真澄にも見えていた
「東日流の風景」
 太田齋二郎

6『新・古代学の扉』
古賀事務局長の洛中洛外日記
『日本書紀』の西村命題
 古賀達也

大山祇神社の由緒・神格の
  始源について
九州年号を糸口にして
 八束武夫

8彩神(カリスマ)
シャクナゲの里6
 深津栄美

9古賀事務局長の洛中洛外日記
例会発表のコツ
 古賀達也

 事務局だより

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大化二年改新詔の考察 古賀達也(会報89号)


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『日本書紀』の西村命題

第184話 2008/08/10

京都市 古賀達也

 九州王朝研究において、大和朝廷との王朝交代の実態がどのようなものであったか、例えば禅譲か放伐かなど、重要なテーマとなっています。近年、諸説が出されていますが、その時に避けて通れない説明があります。それは、「何故、日本書紀が今のような内容になったのか」という説明です。
 ご存じのように、『日本書紀』は九州王朝の存在を隠しており、神武の時代から列島の代表者であり、卑弥呼や壹與の事績も神功紀に取り込むなど、古くから中国と交流していた倭国は自分達であったかのような体裁をとっています。その反面、九州年号を「使用」していたり、自らの出自が九州の天孫族であることも堂々と記しています。
 このように、『日本書紀』はかなり複雑な編纂意図を持った史書であることがわかるのです。従って、近年の論者による禅譲説、放伐説、あるいは大和遷都説にせよ、それならば「何故、日本書紀が今のような内容になったのか」という問いをうまく説明できていないのです。
 わたしがこの問いを最初に聞いたのは、西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人)からでした。次から次へと出てくる珍説・奇説に対して、西村さんはこの問いを発し続けられたのです。大変するどい問いだと感心しました。そこでこの問いを「西村命題」と私は命名しました。
 古田学派内外で出される諸説のうち、この西村命題をクリアしたものは、まだありません。わたし自身も、大化改新研究と前期難波宮九州王朝副都説により、ようやく西村命題に挑戦できそうなレベルに近づけたかなあ、という感じです。恐るべし、西村命題、です。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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