連載小説『 彩神』 第十二話 シャクナゲの里1 2 3 4 5 6 7 へ
無礼講 深津栄美
−−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
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〔これまでの概略〕冬の「北の大門」(現ウラジオストク)攻めを敢行した三ツ児の島(現隠岐島)の王八束(やつか)の子孫は、天国(あまくに 現壱岐・対馬)や韓(から)へも領土を広げ、天竺(現インド)の王女を娶(めと)る者もあった。対岸に栄える出雲の王子建御名方(たけみなかた)と恋仲だった、白日別(しらひわけ 北九州)の王女岩長は、強引に敵将天火明(あめのほあかり)の妻にされ、その間に生まれた娘馨(かおる)は大鷲に襲われたところを、羽白熊鷲(はじろくまわし)という少年に救われる。
「おぬしが橿日の宮(現福岡県香椎宮)の姫か?」
明るい眼差が、馨を見下ろした。盛んに焚かれている火の前に、黒皮の鎧を着た武士(もののふ)が陣取っている。灰色の蓬髪(ほうはつ)、額や目尻、口の端(は)には小皺(こじわ)が浮き出て、独酌する手も骨立っていたが、日に灼けて眼光は鋭く、声も張りがあった。
訝(いぶか)しげな馨に、
「末盧国(現佐賀県唐津市付近)王志々伎様だ。」
羽白が耳打ちする。
馨は慌てて、
「初めまして──。」
と、一礼した。
志々伎(しじき)の名は、父や母からよく聞いていた。出雲王朝の後押しで妹に王位を簒奪された上、一大国(壱岐)へ流刑(なが)された末廬の君主 ーー父と叔父は祖母の命令で彼を救うべく白日別(北九州)に進出し、見事出雲王家を併呑して志々伎復位を成功させたという。尤も、一大国では流人の身でありながら放蕩三昧に明け暮れていたとか、帰国後は民に重税を課し、全白日別征服を目論んで妖術使いを集めているだの、橿日の宮での志々伎の評判は芳しくなかった。しかし、こうして向き合ってみると、特に無頼漢とは思えない。どこか暗い雰囲気がつきまとうのは、夜なのと長い流刑生活の為だろう。
「固苦しい挨拶は抜きだ。」
志々伎は笑い、
「今夜は無礼講だ。馨姫にも杯を取らせよ。スグリ酒なら子供にも飲めよう。」
羽白の父五十迹手(いとて)に、自分の金杯を渡した。
志々伎を除く男は皆、純白の袈裟に太い麻緒の高足駄(あしたかだ)だが、五十迹手(いとて)は金の刺繍(ぬいとり)をした黒い小さな角帽を頭に載せ、両肩から薄紫のたすきが流れ落ちている。一族の長(おさ)の印だろうか・・・・・・?
「志々伎様の一献を受けて下さるかな?」
五十迹手(いとて)かせ微笑を含んで金杯を馨に差し出そうとすると、羽白がシャクナゲの先を一輪、金褐色の液体に落とした。馨は恭(うやうや)しく押し頂き、口を付ける。甘ずっぱい液体が緩やかに全身を潤して行き、
「ほほう、良い飲みっぷりだ。」
志々伎が満足気に頷いた時、賑やかな笛や太鼓が湧き起こり、白衣をなびかせた女達が山海の珍味を運んで来た。焚火の向こうに設置された舞台へ跳ね上がり、軽快に舞い始めた道化面の一団もある。
・・・・未通女壮士(おとめおとこ)の往き集ひ
かがふ燿*歌(かがひ)に
他妻(ひとづま)に吾も交らむ
わが妻に他(ひと)も言問(ことど)へ
この山を領(うしは)く神の
昔より禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ・・・・・・
(今宵は、若い男女が結婚相手(あいて)わ見つける燿*会(かがい)の夜。私も人妻に言い寄ろう。私の妻に、他処(よそ)の男が求愛するが良い。この山を治める神様が、昔からお許し下さっている習慣(ならわし)なのだ。)
燿*は、火編の代わりに女編。35B25
(岩波文庫版『万葉集』第九巻一七五九番より。現代語訳、筆者)
歌声が笛に和し、
「さあ、祇園会じゃ。大いに飲み、食べ、寛(くつろ)いでくれい。」
志々伎と五十迹手が、杯を掲げて音頭を取る。
「祇園会って、なあに?」
馨が訊ねると、
「毎年、シャクナゲの花が咲く頃行われる、山法師の宴会さ。」
羽白はスグリ酒に投げ入れた赤い花をつまみ上げ、クルリと回した。花びらに止まった酒の滴が、金の火花のように飛び散る。
「最近、私が外へ遊びに行くと、この花が降って来るのよ。山の鳥達が、わざわざ取って来てくれるみたい。」
馨の言葉に、
「大鷲に吊し上げられた君は、この花そっくりだったからね。」
羽白が悪戯っぽく微笑したので、
「あら、じゃ、この花はあなたが・・・?!」
「黒百合よりはましだろう?」
羽白は足元に転がっていた紫紺の花束を、火の中に蹴り込む。
「その花を持ってきた娘(こ)はあなたの許嫁(いいなづけ)だって言っていたけど、本当?」
馨は、自分に灰色狼をけしかけた、草いきれのしそうなほっそりした浅黒い少女を思い出した。
「彼女(あれ)は民(たみ)といってね、八女の国(現福岡県八女郡~山門郡付近)を治める山門一族の姫君なんだ。一緒にいたのは、兄貴の夏羽(なつは)だよ。天国の皇子(みこ)兄弟が白日別へ侵攻された時、父上は身重だった母上を気遣って戦火を避け、松峡(まつお)の宮(現福岡県朝倉郡三輪町)へ移住したんだ。その際、便宜を計って貰った縁で、僕と民を婚約させたんだけど、僕達は元々伊都国(現福岡県糸島郡)の人間だからね。橿日の宮や志々伎様の方に親しむのは当然だろ?
羽白の面映(おもは)ゆげな表情が、炎の照り返しに浮かび上がった。支配層は政略結婚が常識、と幼い中(うち)から教え込まれても、やはり理不尽に感じるのかもしれない。
「送ってあげよう。おいで。」
不意に、羽白が馨の手をつかんだ。
「あら、でも、もう真暗なのに・・・・・・。」
馨の当惑には素知らぬ顔で、羽白は口笛を吹いた。笹藪をかき分けるに似た音が聞こえ、一羽の大鷲が舞い下りて来る。
思わず後ずさりした馨に、
「大丈夫。君を拐おうとした奴じゃない。僕の相棒の尾白さ。ほら、尻尾が真白だろ?」
羽白は尾羽を指さした。成程、羽白の袈裟に劣らず、豊かな尾は篝火を受けて白銀(しろがね)に輝いている。
「お乗りよ。」
羽白の差出す手につかまって、馨はこわごわ大鷲の背に股がった。馬には乗った事があるが、鳥の背は一面、浅茅ケ原のように羽毛が生い茂っていて、子供の体は埋もれてしまう。
羽白が再び口笛を鳴らした。大鷲は勢い良く羽ばたいて、見る見る空中へ舞い上がった。篝火を中心に躍り狂っている五十迹手初め白衣の一団や、黒皮の鎧を着た志々伎、笛・太鼓をかき鳴らしている伶人(れいじん 楽士)達、異国の使者の銀の鈴の燦めきや赤、黄、黒に塗り立てた陽気な仮面が、急速に闇に吸い込まれて行く。どこまでが灯をちりばめた大地であり、どこからが星空か、まるで見当がつかない。夜の番兵のように、松林が行く手に立ちはだかる。槍のような杉の枝が、八方から突き出される。亡霊のような白雲が脇を掠(かす)める。
生まれて始めての空の旅に馨は目が眩みそうだったが、自分など入る事も叶わないと思っていた深い森の梢を、大鷲の背に乗って潜り抜けて行くのは実に爽快だった。父や叔父は船を操(あやつ)り、海を制したが、空を領(うしは)いた者は橿日の宮では自分が最初だろう。更に、松峡(まつお)の宮の王子は猛禽を飼い慣らす事で、偉大なる宇宙神(あめのみなかぬし)の御座所(おましどころ)であり、雷神(いかづち)がよぎり、月神(つきよみ)が瞑想に耽(ふけ)り、日毎、輝ける太陽神(あまてるおおかみ)が渡って行く空の道を、既に我がものと成していたのだ。
「凄いわ、羽白、あなたって人は─」
馨の歓声に、
「山法師なら、誰でもこれ位はやれるさ。」
羽白は照れたように首を振った。
「山法師になれば、猛禽を手懐ける能力が持てるの?」
聞き返そうとして、馨は息を飲んだ。
天地の境(あわ)いに聳える樫の大木が、赫々(あかあか)と燃えさかっていたからだ。 (完)
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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